織田家第16代当主「本能寺の変」の後、織田家が書いた始末書 (2/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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織田家第16代当主「本能寺の変」の後、織田家が書いた始末書

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週刊朝日

 12代の長猷(ながみち)は、江戸時代の終わりに生まれていますが、1日違いで側室にも子どもが生まれた。跡目を争って、正室と側室の両方でお互いの子どもに毒をもりあったそうです。おかげで体が弱く、20歳ごろには歩けなかったそうで、実際に20代で亡くなっています。

 祖父の長義も28歳と、早くに亡くなっていますが、原因はスペイン風邪だそうです。父の長繁は、2歳で家督を継いでいます。第2次大戦では、陸軍で大陸に行きましたし、東京にあった両親の実家はどちらも空襲で焼けてしまいました。苦労したと思います。

 家に伝わるものと言われましても、戦時中の供出などで刀や武具の多くは手放していて、あまり残っていません。戦時中に疎開させていた文書類が少しあるくらいでしょうか。信長が女性にあてた手紙や、太田牛一(ぎゅういち)という信長の家来だった人が書いた信長の一代記「信長(しんちょう)公記」があります。朱書きが入っているので、下書きと言われています。

 本能寺にあてて織田家が書いた始末書の写しというのもあります。本能寺の変ではお寺が焼けてご迷惑をおかけしました。そのことに対するおわびです。

 信長ファンが訪ねて来ることですか? ないですよ。20年くらい前ですかね、「グループ信長本陣」という信長のファンクラブから機関誌が送られてきたことはありましたけど、それくらいでしょうか。やっぱり織田家がいることは知られていないのかもしれないですね。

 一人娘で独身ですが、織田家を残す方法は、これから考えればいいわ、とわりと気楽に考えています(笑)。

週刊朝日  2014年6月27日号


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