古山さんは、実父の手配で船に乗りタイへ向かった。それきり、消息は途絶えた。古山さんが発見されたのは、さらに10年の年月を経たころだ。

「タイ国境のミャンマーにある山奥の村の周辺で竹トンボなど、日本の玩具が目撃されました。日本人がいるのではないかと現地でうわさになり、捜索隊が出て、おじは発見されました。同じ村で。何人かの日本人が暮らしていたそうです」(広瀬さん)

 古山さんは、日本に帰国せずに現地でシンガポール国籍の日系女性と結婚した。1女1男に恵まれ、事業も成功を収めるなど幸福な日々を過ごした。

 明仁皇太子と再会したのは、その時期だ。明仁皇太子は終戦の前年から、日光などに疎開。終戦後も、しばらくは日光にとどまっていたため、古山さんとはほぼ20年ぶりの再会であった。

「いつだったか。おじが愛知県の実家を訪れた際、居合わせた私に写真を見せてくれました」(広瀬さん)

 古山さんは、口数が少なく、タイでの暮らしについてもほとんど語らなかった。そんな古山さんが、明仁皇太子ご夫妻の写真を手にしながらポツリ、ポツリと。しかし、嬉しそうに近衛兵時代の話をしたという。

 明仁皇太子と古山さんが、どのようなあいさつをしたのかは、わからない。ただ、写真からは、数奇な運命をたどった古山さんの思いが伝わってくる。

週刊朝日  2014年6月20日号