江田憲司(えだ・けんじ)1956年、岡山県生まれ。東大法学部卒。79年、旧通産省に入省。橋本内閣の首相秘書官などを経て、2002年の衆院選で初当選。09年結党の「みんなの党」で幹事長を務めた。4期目(撮影/写真部・植田真紗美)
江田憲司(えだ・けんじ)
1956年、岡山県生まれ。東大法学部卒。79年、旧通産省に入省。橋本内閣の首相秘書官などを経て、2002年の衆院選で初当選。09年結党の「みんなの党」で幹事長を務めた。4期目(撮影/写真部・植田真紗美)
意気揚々と新党旗揚げを目指す石原派 (c)朝日新聞社 @@写禁
意気揚々と新党旗揚げを目指す石原派 (c)朝日新聞社 @@写禁

 橋下派37人、石原派23人、無所属2人。分裂した日本維新の会の勢力が確定した。最大野党の民主党を巻き込む野党再編の機運が高まる中、その“仕掛け人”である結いの党の江田憲司代表(58)が独占インタビューに応じた。

――集団的自衛権の論戦で解散風も吹いています。

 憲法改正だ、集団的自衛権だと、安倍政権のアジェンダセッティングに、野党もメディアも振り回されすぎています。世論調査をやったら、国民の関心は、圧倒的に景気や雇用、医療や年金などの社会保障問題ですよ。ここは我々も含めた野党もふがいない。与党や国民に対し、やるべき優先課題はこうと提示できないことが大問題です。

――維新が分裂しました。

 正直、寝耳に水でした。この局面で分党なんて想定してませんでしたからね。橋下(徹・大阪市長)さんも、直前の(日本維新の会の)執行役員会で、石原(慎太郎)さんの主張する「自主憲法制定」でいくという方針を決めていて、そこは堅かったですから。ただ、大人の対応で折り合う余地はないかと。「自主憲法制定」という言葉は、現行憲法の破棄やその価値観を否定するような意味合いを持つ言葉なので受け入れられませんが、それを字義どおり読むと「国民の手で憲法を改正していく」ということなので、その限りでは問題はないかなと。そうしたラインで「文言調整の余地はありますね」という話はしていたんです。

――5月24日に京都で橋下さん、前原さん(民主党の前原誠司氏)とお会いになったそうですが、何を話されていたのでしょう。

 内々の会合ですから中身については私の口から申し上げられませんが、一つだけ言えることは、あの日、たまたま(日本維新の会が)執行役員会を開き、政策合意案に「自主憲法制定」の文言を明記するということが決まったと。その夜だったので、橋下さんに「自主憲法制定だと、さらなる再編、たとえば民主党とも連携してやっていこうとなったとき、その芽を摘んでしまいますよ」ということは強く申し上げました。前原さんも同じ意見でした。

――3人ではよくお会いになるのですか。

 いいえ、個別には会っていましたが、3人一緒に会うのは初めてです。

――分党発表後、橋下さんとお話はされましたか。

 日常的にお互いよく連絡は取り合っています。今後、わが党は橋下維新の会との合流に向けて粛々とプロセスを踏んでいくだけです。

――お盆くらいまでに、合流、新党をつくられるとか。

 期限ありきじゃありませんよ。ただ、分党で政治理念や基本政策の一致は遠からずできるでしょうから、自然体でいけば、7月か8月のお盆前、遅くとも秋の臨時国会までにできているでしょうということです。

(本誌・平井啓子、森下香枝)

週刊朝日 2014年6月20日号より抜粋