文筆家の北原みのり氏は、オウム真理教事件の実行犯・菊地直子の裁判を傍聴したという。

*  *  *

 5月8日、オウム真理教の元信者、菊地直子さんの裁判が東京地裁で始まった。

 彼女と私は同世代。菊地直子さんは高校生の頃にオウムに関心を持ったというが、「空気」としてわからないわけではない。あの頃の若者にとって、オウム真理教は「身近」だった。彼等は大学構内でフツーに布教活動をしていたし、ゾウの帽子をかぶり「ショーコーショーコー」と踊る選挙活動を、街で見かけたこともある。雑誌で麻原彰晃が地面から浮いているグラビアが、とても“新しく”見えたことも、よく覚えている。なにせ、サイババ(インドのスピリチュアル・リーダー)が大流行していた時代だ。時代の「気分」のようなものとして、オウムは「身近」だった。

 言うまでもなく、バブル真っ盛り。未来は軽くて明るく見えていた。それなのに、なのか、それだから、なのか、オウム真理教に入っていった人たちが、日本の犯罪史上最悪の事件を起こしていく過程は、未だにわからないことだらけだ。

 8日、同世代の女の一人として、という意識で菊地直子さんの裁判を傍聴した。罪状は、殺人未遂などの幇助だった。意外に思ったのは、私が彼女を地下鉄サリン事件の実行犯だと思い込んでいたからかもしれない。逮捕されたら死刑だからこその命がけの逃亡なのだと、思っていた。彼女が問われているのは、東京都職員がオウム真理教から送られた爆発物で指を失った事件。菊地さんは爆弾をつくるための薬品を運んだ。それが爆弾のためのものと知っていたか、知らなかったかが争点だ。

 この20年近く、菊地さんの指名手配写真は、街の風景の一部になっていた。名前も顔も、よく見かける指名手配犯人。それなのに、私は彼女の犯した罪を知らなかった。そしてまた、法廷で見る彼女の顔は、指名手配写真の顔とは似ても似つかないものだった。ふっくらとした人の良さそうな明るいお姉さん、ではなく、はかない雰囲気の凄い美人、だった。

 この20年は、彼女にとってどのようなものだったんだろう。傍聴席で見る彼女は、美しい顔を、一度も崩さず、終始無表情だった。
 
週刊朝日  2014年5月30日号

著者プロフィールを見る
北原みのり

北原みのり

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

北原みのりの記事一覧はこちら