本誌は、戦前の旧制一中にあたる伝統校を中心に、全国の「名門高校」を調査した。その校名を見ていくと、トップであり続けている高校と凋落(ちょうらく)してしまった高校とがある。その違いはどこにあるのか。今回は西日本にスポットを当てて調べてみた。

「旧制一中にあたる高校をチャンピオン校にする政策をとったかどうかです。学区制や総合選抜制度などで凋落したあと、改革によって復活したケースもあります」(徳島文理大学大学院教授の八幡和郎[やわたかずお]氏)

 京都では、1870(明治3)年創立の京都府中学校が現在の洛北で、日本人初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹や2番目の受賞者の朝永振一郎の母校として知られている。

 京都府知事を1950年から7期28年務めた蜷川虎三が、「15の春は泣かせない」というスローガンのもと、総合選抜入試を導入。受験戦争は緩和されたものの、府立高校は進学先を選べなくなったため、私立の洛星や洛南、国立の京都教育大附などが人気を集め、洛北をはじめとする名門校の進学実績が悪化した。

「私立に対抗するため、京都市立堀川高校が通学区域を自由化するなどして、京大の現役合格者数が公立でトップとなる成果をあげたこともあります。また、2004年には名門復活のため、洛北高校に附属の中学を開校。さらに今春の入試から、長らく続いた総合選抜が廃止されました。今後の公立校の動向が気になるところです」(八幡氏)

 大阪でも、私立の大阪星光学院が府のトップ校になったが、旧制一中にあたる北野は、全国トップクラスの公立という地位を失っていない。同校を卒業した経済産業副大臣の松島みどり氏(57)は、高校時代を振り返ってこう語る。

「高2のときに、先輩である手塚治虫氏が講演してくれたことを覚えています。勉強さえしていれば、規律についてはうるさく言われない学校でしたが、体育は厳しかった。冬に断郊競走というマラソンがあり、男子は13キロ、女子は6キロ走りました。淀川の川べりや十三大橋をブルマ姿で走るのはちょっと恥ずかしかった。夏は校内のプールで平泳ぎ、クロールともに500メートル泳げないと単位がもらえません。泳げない生徒は9月半ばまで学校の冷たい水で練習し、それでも泳げないとスイミングスクールに通っていたようです。私の根性は、北野高校の体育で鍛えられました」

 大阪では、北野、天王寺、大手前、三国丘など府立10校を進学指導特色校に指定。11年度から1期生が入学している。

週刊朝日  2014年5月23日号より抜粋