3月26日、春雨で煙る伊勢神宮(三重県伊勢市)に、両陛下が参拝した。
式年遷宮を受けたこの参拝では、20年ぶりに剣と璽(まが玉)が皇居から持ち出される。伊勢神宮に置かれた鏡と合わせて、皇位継承の象徴である三種の神器がそろう日でもあった。
天皇陛下はモーニングの正装、美智子さまも白いロングドレスと帽子を新調し、この特別な参拝に臨んだ。
美智子さまが身につけた白い帽子は、その1週間前に亡くなった平田暁夫さんのデザイン。美智子さまへ納めた最後の帽子だった。
皇后美智子さまを始め、皇族方の帽子デザイナーとして知られる平田暁夫さんが3月19日に亡くなった。
平田さんは1925年に長野県で生まれ高等小学校を出ると、14歳で東京・銀座の高級帽子店へ奉公に出た。
37歳のとき、妻となる恭子さんと帽子の勉強のためにパリに渡る。オートモードの第一人者といわれ、各国の大統領や王室、女優を顧客に持つジャン・バルテの工房を訪ねた。
「65年に帰国し、翌年に皇后さまの洋服のデザイナーを務めていた芦田淳さんの紹介で、美智子さまの帽子をお作りすることになりました」(恭子さん)
70~80年代に入ると、パリ・コレクションで活躍する三宅一生、川久保玲のショーも担当した。
95年、70歳の年にパリで個展を開いた。仏のオートクチュール界の重鎮が主催に手をあげ、ファッション界の寵児である演出家のオリヴィエ・マサールが協力を申し出た。パリのモード界で尊敬を集めたことを証明する出来事だった。
一方、美智子さまの帽子は、デザイン性と同時にさまざまな配慮が求められる。
美智子さまは、皇太子妃時代を含めて3度も全米ファッション界による、ベストドレッサーに選ばれた。昭和の時代は、つばの広いブルトンやターバンのように頭を覆うボネと呼ばれる帽子も愛用したが、平成に入ると、小さな丸い帽子を載せるスタイルが定着した。
ほおを寄せる欧米式のあいさつでは、広いつばが邪魔になる。小さな帽子であれば、移動の荷物がかさばらず、訪問先で洋服から和服に着替えても髪形が崩れない──。美智子さまが試行錯誤の末、たどりついた装いだった。
生前、平田さんは本誌の取材にこう話していた。
「皇后さまは、訪問先に縁のあるモチーフをご希望になる。オランダならばチューリップ、英国の場合はバラという具合です。県花や、土地の織物をあしらうこともあります」
美智子さまは、仮縫いした帽子をかぶりアイデアを練る。帽子を折り曲げ、銀紙をつけて理想の型を追求することもあった。
美智子さまの配慮や気配りも含めて帽子に具現化するデザイナー、それが平田さんであった。
「平田さんのような才能を持つ人々が、両陛下のご活動を支えている」(宮内庁関係者)
平田さんの帽子作りは、病気との闘いでもあった。
50歳で心臓手術を受けた。脳梗塞で倒れたこともある。胃や大腸、膀胱のがんで入退院を繰り返したが、創作意欲は衰えなかった。
昨年12月、両陛下は歴代天皇、皇后として初のインド訪問を果たした。
「皇后さまは、ヒンドゥー教と縁の深いハスの花や、インドの国旗をイメージした帽子をご希望でした」(恭子さん)
ハスの飾りは、帽子とのバランスが難しい。悩んだ平田さんは、桃色と白い花びらが舞うような幻想的なデザインを提案した。
そのころ、平田さんは腎臓病の透析治療で入院していた。それでも、病院からアトリエに通い続けた。
「平田にとって、帽子作りそのものが人生であり、幸せでした」(恭子さん)
平田さんの情熱は、娘の石田欧子さん(50)が継いでいく。
※週刊朝日 2014年5月9・16日号より抜粋