一時は徘徊で悩まされた認知症の母を自宅で介護する男性 (c)朝日新聞社 @@写禁
一時は徘徊で悩まされた認知症の母を自宅で介護する男性 (c)朝日新聞社 @@写禁

 親の介護は、骨折や脳梗塞の発症などが引き金となり、ある日突然、始まることが多い。入院中ならきょうだい間で見舞いの負担を分け合えても、その先を誰がどうやって支えるかの議論になると、「え、なぜ私が?」と戸惑う子どもは珍しくない。泥沼の仲たがいを避けてケンカしない方法を考える。

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 親の介護を突きつけられたきょうだい間の争いを避けるために、「認知症の人と家族の会」(本部・京都市)の高見国生代表理事がアドバイスするのは、中心となる介護者自身の心構えだ。

「介護の真っただ中にいる家族には『きょうだいはいないものと思ったほうが楽』と言います。『なんで私だけが』と思い詰めるとつらいので、元々あてにしないほうがいい」

 その上で「誰が中心になって介護するかを、はっきり決めることが大切」と高見さんは断言する。中心となる介護者の負担が大きくなるのは当然で、それをきょうだい同士が認識し、「誰が何を引き受けるか」を話し合う必要性を説く。

「分担は必ずしも平等でなくてもいい。例えば、『土日だけは、他のきょうだいが親のもとに足を運んで世話する』など部分的でもOK。お金を負担するのも選択肢の一つになります」(高見さん)

 御法度は中心となる介護者に文句を言うことだ。

「介護しない人には『そんなことを言うなら、あなたが引き取りなさい!』と話します。口だけ出して手を出さない人がいちばん頭にくるんです」(同)

 例えば、きょうだいから、同居して介護する認知症の親に毎日「ごはんはまだか?」と言われて苛立っている、と訴えられたとする。<そんな些細なことで?>と感じても、その精神的苦痛は一緒に暮らさなければわからない。きょうだいに代わって介護できないのなら、不平不満は慎むべきだと高見さんは語る。

「認知症の人の特徴は、身近な人に症状が強く出がち。時々訪ねてくる人の前では取りつくろえるんです。だから、離れた場所で暮らすきょうだいは、あいさつできたり普通に振る舞えたりする親の発言を信じてしまう。そもそも子どもたちは親が認知症になったとは思いたくないのです」(同)

 介護にかかる費用をどう分担するかの調整もとても難しい。

 1996年設立の、遠距離介護をする人を支援するNPO法人「パオッコ」理事長で、『70歳すぎた親をささえる72の方法』(かんき出版)などの著書がある太田差惠子さんは言う。

「早い段階から介護の金銭的負担をどうするか、親を含めて、きょうだい間で相談しておくべきです。そもそも親にどのくらい貯蓄があるかを、親がまだ元気なうちから聞いておくことが大事。なければ、きょうだい間で負担せざるを得ません。私の知人は、いずれ介護が始まることを見据え、きょうだい3人で毎月5千円ずつ積み立てる『介護貯金』をしていました」

 さらに太田さんは、「親に財産がある場合、そのお金を使うことをためらわないほうがいい」と強く勧めている。

 親が亡くなってから遺産を分け合うよりも、親元と行き来するための新幹線代やデイサービスなどの介護サービスの利用料などに使ったほうが“生きたお金の使い道”になるからだ。その場合、肝心なのは「金額と日付などをノートにきちんと記録しておくこと」と強調する。

「仕事の経費と同じように考え、領収書までとっておくのがベストです。親のお金はもちろん、自分のお金を使ったときでも明記しておく。忙しさから忘れてしまいがちですが、後になって『嘘をついていただろう』と、もめごとの原因になることもあります」(太田さん)

週刊朝日  2014年5月2日号より抜粋