檜山恵子(ひやま・けいこ)1959年、東京都生まれ。OL時代、38歳でマラソンに目覚める。走るたびに記録を更新。今年3月、2時間53分31秒の自己新をマーク。164センチ、47キロ(撮影/写真部・工藤隆太郎)
檜山恵子(ひやま・けいこ)
1959年、東京都生まれ。OL時代、38歳でマラソンに目覚める。走るたびに記録を更新。今年3月、2時間53分31秒の自己新をマーク。164センチ、47キロ(撮影/写真部・工藤隆太郎)
(撮影/写真部・工藤隆太郎)
(撮影/写真部・工藤隆太郎)

 ソチ五輪では、41歳の“レジェンド”葛西紀明の活躍に日本中が沸いた。台頭する若手を、衰えぬ体力と熟練の技で打ち負かすベテラン。そんな「中年の星」はほかにもいる。

 若手ランナーから「レジェンド」と称される主婦・檜山恵子さん(54)。50歳を越えてもマラソン2時間台を連発。彼女を一流ランナーへと変貌させたのは、驚異の練習量だった。

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 まさか自分がこんなにマラソンに熱中するとは思いませんでした。学生時代は文化部で、OL時代もスポーツはまるでダメでしたから(笑)。

 初めに興味を持ったのは30歳のころです。当時、太っていたこともあり、毎夜自宅周辺を2~3キロ走りました。やせることができて、ジョギングが楽しいと思うようになったころに夫と知り合いました。38歳でした。

 夫は公務員でフルマラソンにも出場していて、そのビデオ映像を見るうちに私も興味がわいてきました。翌年、結婚して専業主婦になったこともあり、練習量を増やしました。平日は朝6キロ、週末は大会で5キロ。さらに毎月1回20キロこれを1年3カ月続けました。

 2000年4月にハーフマラソンに初出場したところ、1時間27分で走ることができました。1時間30分を切った選手はマラソンの国際大会に出場できることを後から知り、さらに上を目指すようになりました。

 実業団OBの選手がいる社会人クラブに入り、平日は20キロ、週末は10キロでスピードを強化しました。初のフルマラソンは02年1月の大阪国際女子。金メダリストのロバ選手がいてドキドキしたのを覚えています。それが原因なのかオーバーペースで、折り返し地点では余力が残っていませんでした。3時間16分58秒。2時間台を出せず落ち込みました。

 でも1週間静養した後に練習を再開。毎日20キロを走り、陸上クラブの合宿にも参加して自分を追い込みました。初めて3時間を切ったのはマラソン7度目の04年名古屋。そして今年3月には同じ名古屋で2時間53分31秒の自己ベストを出すことができました。

 国際大会で走るのは名誉なことですが、最近は20代、10代の子も見かけます。なんか母親のような年代で恥ずかしいのですが、若い子と刺激し合って走るのは楽しいですね。

 タイムを上げるには、何といっても練習する仲間が大切です。自分より少し速い人にどれだけ長い距離を引っ張ってもらえるか。またスタミナとスピードを両方バランスよく強化できるかも重要です。夫や実業団OB選手の的確なアドバイスは大きかったです。

 これまで26回フルマラソンを走りました。月並みですが、マラソンは走った後の充実感が何ものにも代えがたいですね。そのためにやっているといっても過言ではありません。55歳の女子世界記録は2時間52分らしいので、11月の横浜で挑戦しようと思っています。

週刊朝日  2014年5月2日号