仙台藩主・伊達政宗の子孫として伊達家第18代当主を務める伊達泰宗(やすむね)氏。名家ゆえ、幼少期から現在までさまざまな経験をしてきたという。

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 伊達家の当主ということで、いくらか特殊な生活や体験をしてきているかもしれません。

 父が存命中、正月になると、旧家臣の子孫である仙台藩志会の人たちが「ご機嫌伺い」に来られました。父への挨拶が終わると、「若様、お勉強の時間でございます」と呼ばれます。

 厳(いか)めしい方々と正座で向かい合うと、政宗公と伊達家についての話がしばらく続きます。最後には必ず、「政宗公直系の子孫であるということを、片時も忘れてはいけません」という教えをいただきました。

 成人してからは、「お酒を飲みに出歩いてはいけない」とも言われました。仕事でお酒を頂くことはあっても、自分の楽しみで出歩いてはならない、ということです。この教えはしっかりと守っていますから、国分町(仙台にある東北随一の歓楽街)に行くこともほとんどありません。周りからは、付き合いが悪いと思われているでしょう(笑)。

 学校では、先生から「政宗君」と間違って呼ばれることが多かった。歴史の先生もよく間違っていました。そのときは少し恥ずかしい思いをしました。でも、周りの友達は伊達家ということをあまり気にせずいてくれたので、ありがたかったです。

 大変なこともあります。4代綱村公以降の当主や夫人、親族のお墓は30基ほどあり、山ひとつが墓城となっています。伊達家の所有になっているのですが、大震災のときに石灯籠203基が全て崩壊しました。

 伊達家の当主として、墓所はお守りしなければなりません。昨年の12月にようやく改修工事を完了しまして、今年3月15日に改修記念の法要を行いました。

 忘れがたい体験もありました。ローマ法王ヨハネ・パウロ2世聖下とお会いすることができたのです。1985年のことでした。

 なぜお会いできたか。それは、慶長遣欧使節団を派遣した政宗公の子孫ということで謁見が許されたのでした。

 バチカン宮殿の入り口では、スイスの儀仗兵に迎えられます。370年前に使節団長の支倉常長がローマ法王パウロ5世にお会いしたという部屋を通り過ぎ、奥へと進みました。どこまで通されるのだろう、と思っていましたら、御座の間というところに案内されました。すぐ隣は法王のプライベートルームという部屋です。国賓を迎える部屋なのだと後で聞かされました。

 法王は背の高い方で、大きな靴を履いていました。握手をした後も、手を握られたまま30分くらいお話をされました。驚いたことは、日本語でも話されたことです。

「伊達政宗公の勇気に心から敬意を表します」
「ともに世界平和のために活動していきましょう」

 感激いたしました。そして、政宗公以来の友好の親書をお渡しすることができました。

 伊達家の当主として、先祖から受け継いだ墓所などの遺産を守り維持していくという困難もありますが、先祖があればこそ、ローマ法王にお会いすることもできた。この時代に生まれ、天から与えられた役目をしっかりと果たしていかなければいけないと肝に銘じています。

(構成:本誌・横山健)

週刊朝日  2014年4月25日号