伊達家第18代当主、伊達泰宗(やすむね)氏は先祖から代々受け継がれてきた品々や作法についてこう語る。

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 伊達家には、政宗公から13代慶邦公まで、江戸時代の歴代当主13人の甲冑(かっちゅう)がすべて残っていました。

 比べてみると、とても面白い。政宗公の甲冑が一番モダンです。シンプルで機能的にできている。それが、泰平の世へと時代が進むにつれて、だんだんと装飾的になっていきます。慶邦公の甲冑になると、鎌倉時代の大鎧(おおよろい)のようです。

 歴代当主が使われた家具や食器、茶道具など多くの品々もすべて家で持っていました。そのこともあって、祖父の興宗が戦後間もなく亡くなったときは大変でした。財産税に加えて相続税も払わなければいけない。合計すると、当時の宮城県の予算よりも大きな金額だったと聞いております。

 祖母は土地を失いましたが、代々伝わる品々は手放さずに守り抜いたのでしょう。それら2万数千点の品々は、父の貞宗が仙台市博物館に寄贈しました。

 父は45歳で若くして亡くなりましたから、当主として知っておくべきことを私に話してくれる機会が、それほど多くはありませんでした。そのかわり祖父の弟である大叔父からは、伊達家に伝わる年中行事や儀式について、たくさんのことを教わりました。

 大叔父は公家の東園(ひがしその)家の養子となり、名を伊達宗文から東園基文(もとふみ)と改め、明治天皇の孫にあたる北白川宮家の第2王女と結婚しました。皇太子殿下(今の天皇陛下)と弟君(常陸宮殿下)のご教育係を務め、後に掌典長として宮中の儀式を司り、昭和天皇の大喪の礼もとり行いました。

 この大叔父が晩年話してくれた言葉があります。

「今、自分がこの地位にあるのは、過去における先祖たちの努力のたまものである。その努力を子孫として忘れてはいけない」

 これは、15代邦宗から伝えられた言葉だそうです。

 また、旧小倉藩藩主の小笠原家から嫁いできた祖母からも、武家作法を教わりました。こうして家に伝えられてきた礼法を「仙台藩作法」として、現在、仙台市内の学校や一般の市民を対象に教えています。<次号に続く>

構成 本誌・横山 健

週刊朝日  2014年4月18日号