SMプレーの末に夫を殺害 殺意はあった? (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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SMプレーの末に夫を殺害 殺意はあった?

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 殺人事件で争点となる「殺意の有無」。この判断の難しさがよくわかるエピソードを、著書に『裁判長! 死刑に決めてもいいすか』などがある北尾トロ氏が明かした。

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 傍聴していると、判断に迷う局面が出てくる。被告の主張は信じるに足るのか、それとも検察の証拠が正しいのか。

 代表的なのが自白調書の信用性だ。調書に被告がサインしているのだから証拠能力は十分、というのが検察の言い分。一方、自白は連日の長時間にわたる取り調べに音を上げて認めたもので、本当はやっていないというのが被告の主張。

 これ、どうなると思いますか。ほぼ100%、検察の言い分が通るのだ。昔から裁判所は調書を重く見るのが常。やってないなら、なぜサインしたの?というわけである。じゃあ冤罪事件はどうして起きるんだ、なんてことは考えない。

 ここから先は水掛け論に終始。密室で行われた取り調べの真相についてやり合ってもなぁ。不毛な状況を打破すべく取り調べの可視化(録音・録画)を進めるべきとの声が上がっているが、警察および検察は取り調べをしにくくなるからと消極的で、遅々として進んでいないのが現状。

 いきなり話がズレたが、今回取りあげたいのは“殺意の有無”についてである。これもまた、法廷で争点になりやすい項目。被告がやったことを認めた上で殺意だけは否認するケースを、殺人事件などでしょっちゅう目にする。客観的事実から被害者を躊躇なく殺害したとしか思えない事件でも、いちおう言っとくか風の軽いノリで「殺意はなかった」と弁明するのだ。たとえばこんな感じだ。

「カッとして、気がついたら何度も刺していました(鳴咽)。頭部、顔、首、心臓……。でも、私としては脅して金品が盗れればと。殺すつもりはありませんでした」


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