コミュニケーションをとりながら指導する辻内(撮影/写真部・工藤隆太郎)
コミュニケーションをとりながら指導する辻内(撮影/写真部・工藤隆太郎)
痛みの残る肩で軽くキャッチボール(撮影/写真部・工藤隆太郎)
痛みの残る肩で軽くキャッチボール(撮影/写真部・工藤隆太郎)

 夏の甲子園を沸かせ、2005年秋のドラフト1位で巨人入りした辻内崇伸(26)。度重なる故障で、8年間1軍登板のないまま昨年引退。埼玉県を拠点に活動する女子プロ野球チーム「イースト・アストライア」のコーチとして再出発した。その胸の内に迫った。

 高3で出場した夏の甲子園では大会最多タイ記録(当時)の1試合19三振を奪ったほか、左投手としては最速の156キロを投げた。鳴り物入りで入ったプロ野球の世界で、辻内はケガとの闘いを続けることになる。

「この8年間はケガで苦しんでいる時間のほうが長かった。最後は野球を嫌いになりかけてましたね」

 プロ2年目の19歳のときに左ひじの靭帯を断裂し、再建手術を受けた。

「術後1年半ぐらい野球ができなくて、あれはつらかったですね。それからはずっとケガ、ケガ、ケガ。ひじと肩を交互に痛めてるような状態でした」

 巨人のドラフト1位という輝かしい「肩書」も辻内を苦しめた。

「ただでさえドラ1ってことで周りからの注目がすごい。そのプレッシャーはいつもありました。しかも自分はめっちゃプレッシャーに弱いから、必要以上に『投げないといけない』って重たく感じてしまって」

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