イナバウアーを披露する羽生結弦=山本裕之撮影  (c)朝日新聞社 @@写禁
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 ソチ五輪で日本男子フィギュア初の快挙を達した仙台市出身の羽生結弦(はにゅうゆづる)選手(19)=ANA=。金メダルを獲得できたその強さとは。恩師らがその舞台裏を明かす。

 3年前、羽生のスケート人生に大きな試練が訪れた。3月11日の東日本大震災である。拠点としていた仙台市内のリンクも壊滅状態になった。羽生自身も被災者としての生活を余儀なくされた。東北高校の五十嵐一彌校長が、当時の苦しい状況を語る。

「4日間ぐらい避難所にいて、配給の水とおにぎりなどで過ごしたそうです。壊滅したリンクは2004年にも経営難で閉鎖になって、07年に再開したばかり。やっと滑れるようになったと思ったら……。2度も自分のホームリンクがなくなるという経験を乗り越えたことは、彼の精神的な強さにつながっていると思います」

 失意のなか、羽生が頼ったのは最初の恩師だった。都築章一郎さん(76)=現「神奈川スケートリンク」専属インストラクター=が振り返る。

「ご両親から『そちら(神奈川)で滑らせていただけないか』と依頼を受け、預かりました。週5日はこちらでトレーニング、2日は仙台に帰るという生活で、合間には全国でチャリティーショーに出るという生活を8カ月続けました」 

 震災の話はしないようにしていた都築さんだが、羽生の心の傷を垣間見る出来事があったという。

「一度、神奈川での練習中に余震がありました。そのとき、彼だけがスケート靴を履いたまま、外に飛び出したのです。一方で、そういう時期でも『どんなときも最高のパフォーマンスを』と前向きでした。一歩上の演技を目指して滑り続けたことが、彼を強くしたのだと思います」

週刊朝日 2014年2月28日号