東京電力は1月22日、再稼働に向け準備している柏崎刈羽原発の内部を報道陣に公開した。1978年、柏崎刈羽原発1号機が着工して以来2000年代まで“原発バブル”を味わったこの街に、再稼働はどれだけ影響を与えるのだろうか。

【公開された柏崎刈羽原発の写真はこちら】

 柏崎在住の旅館経営者の男性は「(景気は)今が底」といい、こう続ける。

「作業関係者が多いときは、住民を含めて市内の飲食店を1日5千~6千人が利用すると言われていました。でも、いまでは1日2千人ほど。飲食業に限らず、作業員の数は、小売店や建築業界など、さまざまなところに影響を与えます」

 街中が声を揃えて「脱原発」と言いにくい雰囲気が、そこにある。原発再稼働に“待った”をかけた新潟・泉田裕彦知事に対する評価は、「市内では賛否半々でしょう」と、この男性は漏らす。

 だが、こうした意見に異議を唱える人もいる。かねて原発反対を唱え、現在も再稼働反対派の元刈羽村議、武本和幸さん(63)だ。東電が公表する柏崎刈羽原発作業員数をもとに、こう説明する。

「原発が最大6基稼働していた05~07年は、作業員数は5千~6千人だった。中越沖地震後の09年には、協力企業の職員が増えて最大1万人近くに達する時期もありましたが、完全停止した12年4月からは、再び5千人に戻っているんです」

 つまり、中越沖地震の直後は作業員が多かっただけで、05年の稼働期と停止している現在の作業員数は、同じ5千人前後であることを指摘する。

「原発が稼働すれば東電従業員が増える、というのは違うんです」

 “原発に頼らない街づくり”のためには、こういった情報を今後も住民と共有していかなければならない、と武本さんは訴える。

 東日本大震災から、まもなく3年が経過しようとしている。市内に避難している被災者は、ピーク時の半分の、およそ千人になった。住民のなかには、「被災者がいる街の近くで、再稼働を進めるのは論外」「原発作業員が増えるとすぐ渋滞する道路です。いざ事故が起こったら、即座に逃げられるとは思えない」などと、原発事故の教訓が生かされていないことに疑念を抱く人も多い。

 この間、武本さんは、原発労働者の中で少しずつ変化が見られる、と話す。

「柏崎原発で働く技術者が、フクイチ4号機の燃料棒を移す作業で急遽、呼ばれたそうです。ただ、その作業による被曝は2週間で1年分の放射線量を浴びるらしく、それが心配で、情報や意見を求めて相談に来られました」(武本さん)

 これまで原発作業員からの相談は、ほとんどなかった。武本さんは原発反対を唱え続けてきたからだ。

「原発がある街にとって、どちらかといえば、私は“妨害者”でしたから」

 武本さんは、その“変化”に期待している。

週刊朝日 2014年2月7日号