東京地裁に入る平田被告を乗せた車両 (c)朝日新聞社 @@写禁
東京地裁に入る平田被告を乗せた車両 (c)朝日新聞社 @@写禁

 約17年の逃亡生活の果てに、2011年の大晦日に出頭したオウム真理教元幹部、平田信(まこと)被告(48)の裁判がようやく始まった。拉致事件など三つの事件に関与し、逮捕監禁罪などに問われている平田被告。19年前に東京・目黒公証役場の事務長だった父、清志さん(当時68)を教団に拉致され、殺害された仮谷実さん(53)が積年の思いを語った。(取材:本誌記者・古田真梨子氏、今西憲之氏)

 拉致事件が起きたのは、1995年2月28日。地下鉄サリン事件の約1カ月前のことだ。

 午後4時半、仕事を終えて帰路についた清志さんは、待ち伏せしていた信者に背後から襲われた。清志さんは当時、オウムに入信し、全財産の布施を強要され、教団から逃げ出してきた実妹をかくまっていた。この事件の指揮をとったのは、井上嘉浩死刑囚(44)だ。

 清志さんは助けを求めて叫び、転倒して頭から血を流しながらも抵抗したが、車に押し込まれ、麻酔薬を投与され、眠らされた。

「妻から父が連れていかれたと電話を受けたとき、一瞬、頭が真っ白になりました」(仮谷さん)

 身に迫る危険を察知していた清志さんの提案で、自宅にセキュリティーを設置する準備などを始めた矢先のことだったという。

 清志さんは意識が薄れている状態で一度、別の車に乗り換えさせられ、山梨県上九一色村(当時)の教団施設に連れていかれた。そこでさらに大量の麻酔薬を授与され、翌3月1日に亡くなった。監視していた中川智正死刑囚(51)が約15分間、目を離したスキのことだった。

 2日目の17日の法廷で証言台に立った中村昇受刑者(46)=無期懲役確定=は「中川は自らのミスだ、と言っていた」と言い、殺すつもりはなかったようだと主張した。だが、仮谷さんはこう疑問を呈する。

「父は、麻酔薬の大量投与による死亡となっている。それは事実です。けれど、遺族にとっては父の死を納得できていない。この裁判で、新事実がわかることに、一縷(いちる)の望みを託したい」

 今回の公判は、致死罪を問うものではないが、1月21日の法廷に、証人として出廷する中川死刑囚に対し、「父の死について公の場で事実関係を聞いてみたい。きちんと全て明らかになってほしい」と願う。

週刊朝日  2014年1月31日号