女優の片桐はいりさんは、演劇に関して「抜け」を求めるところがあるという。そうした姿勢は、幼少期にすでに根付いていたようだ。

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 子供の頃、学校から帰る道すがら、いつも考えていた。今日あった出来事を、どんな順番でどんなふうに話したら面白いだろうか。どうしたら家族は笑ってくれるだろうか、と。

「根本に、どんな出来事も笑ってしまいたい気持ちがあるんです。悲惨なことがあったときも、ちょっと落ち込んだときでも、どこかでくすっと笑えるような“抜け”の部分を探してしまう。だから、お芝居に出演するときも、悲劇とか喜劇とか分けたくなくて。むしろ、悲劇の中に喜劇的な部分を、喜劇の中に悲劇的な部分を探してしまうことが多いですね」

 野村萬斎さんが企画・監修する現代能楽集シリーズの「花子について」では、能と狂言という日本の伝統的な喜劇と悲劇、その両方に出演する。狂言は、名作として上演を重ねている「花子(はなご)」を、能「班女」では、三島由紀夫の「近代能楽集『班女』」をモチーフに、脚本家の倉持裕さんが現代の物語を書き下ろす。

「『近代能楽集』は、学生時代に読んだことがあります。でも、舞台で演じるのは今回が初めて。俳優をやっていると、初めてのことに出会うことが多くて、私、どうやらしょっちゅう人に言ってるみたいなんです。『この年になって、初体験があると思わなかった』って (笑)。でもそれは、いくつになっても自分の中にまだ耕していない土地があるってことかもしれないですし。制限を設けずに、いろんなことをやったほうが楽しかろう、という気持ちはいつもあります。能楽集というと、アーティスティックでアカデミックなイメージを持たれる方も多いでしょうけれど、たぶん、脚本の倉持さんは、そこに一直線に向かいたいタイプではないと思うんです。今回の舞台でも、観ている人が、『何、片桐さん、こんなに気取っちゃって。ぷぷぷ』みたいに笑ってくれたらいいなって」

週刊朝日 2014年1月24日号