昨年12月に成立した特定秘密保護法。早稲田大学国際教養学部の池田清彦教授は、この法律で利益を得るのが誰であるかを論じる。

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 権力が国民を騙すために使う常套句は国益である。国家というのは実体ではなく、抽象物であって単なる概念にすぎない。実在するのは個々の人間であって、国家などは実在しない。生物学的に考えれば、これは当然のことだ。だから、国益というのは、特定の個人の利益に決まっている。

 それでは特定秘密保護法は誰の利益になるのだろう。一般国民に不利益になる情報を知らせずに利益を得るのは、特定秘密を囲い込むことができる権力者とそれに連なるエスタブリッシュメントであろう。その結果、貧富の格差が広がり二極化が起こるであろうことはすでにこのコラムに書いた。

 本稿で述べるのは少しく別のことだ。特定秘密保護法を作ったところで、特定秘密なるものの秘密が守れると本気で考えているとしたら、よっぽどノーテンキかパープリンとしか思えない。法律を作っても確信犯には何の役にも立たない。たとえば、秘密情報を欲しがっているどこかの政府やテロ組織や企業があったとしよう。これらの組織が情報を入手するためには、秘密情報にアクセス可能な日本政府の高官をスパイに雇えばよい。高額の報酬をもらってバレそうになったら、亡命するに違いない。問題は、重要な情報であればあるほど、政府は情報漏洩の事実を隠蔽しようとする可能性が高いことだ。特定秘密が漏れたとして、誰がどこにどう漏らしたかも特定秘密ということになりかねない。

 特定秘密は外国にだだ漏れになっているにもかかわらず、国民はその内容のみならず、その事実すら知らないという倒錯的なことになるだろう。亭主の浮気、知らぬは女房ばかりなり、というわけだ。それで利益を得るのは誰か。少なくとも一般国民でないことだけは確かである。

 政府はまたぞろ、重大な犯罪の謀議に加わっただけで処罰対象となる「共謀罪」を創設するつもりのようだ。次の東京五輪に向けたテロ対策が狙いとのことだが、この法律もまた、一般国民の政府批判を封ずるのに役に立つだけで、テロの防止には何の役にも立たないだろう。そのうち「安倍政権を倒せ」と発言しただけでブタ箱に放り込まれることになるかもしれない。

 一方で、いかなる法律も自爆テロのような確信犯を防ぐことは不可能だ。命が惜しくない人は無敵だからだ。アメリカに追随して自衛隊を海外に送るとなれば、テロの標的になる確率は増える。テロの防止に役立つのは、政府の対外政策であって法律ではない。9.11の事件でそのことは自明のはずだ。

週刊朝日 2014年1月17日号