丸岡いずみ うつ闘病中は「母がヒ素を盛っている」と妄想も 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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丸岡いずみ うつ闘病中は「母がヒ素を盛っている」と妄想も

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週刊朝日
丸岡いずみ(まるおか・いずみ)1971年、徳島県生まれ。北海道文化放送のアナウンサー、フリーキャスターを経て、2001年に日本テレビに報道記者として入社。「情報ライブ ミヤネ屋」のニュースコーナーを担当し人気を集める。10年3月から「news every.」のキャスターとして活躍。12年に映画コメンテーターの有村昆さんとの結婚を機に日本テレビを退社。現在はフリーとして活動中。自伝エッセー『仕事休んでうつ地獄に行ってきた』(主婦と生活社)が発売中(撮影/写真部・山本友来)

丸岡いずみ(まるおか・いずみ)
1971年、徳島県生まれ。北海道文化放送のアナウンサー、フリーキャスターを経て、2001年に日本テレビに報道記者として入社。「情報ライブ ミヤネ屋」のニュースコーナーを担当し人気を集める。10年3月から「news every.」のキャスターとして活躍。12年に映画コメンテーターの有村昆さんとの結婚を機に日本テレビを退社。現在はフリーとして活動中。自伝エッセー『仕事休んでうつ地獄に行ってきた』(主婦と生活社)が発売中(撮影/写真部・山本友来)

 2010年3月から「news every.」のキャスターとして人気を集めた元日本テレビニュースキャスターの丸岡いずみさん。可愛らしい笑顔で“奇跡の38歳”と話題になった彼女だったが、うつ病となり突然テレビから姿を消した。小説家の林真理子さんとの対談で、発症中も被災地の取材に行くなど、その壮絶な日々を明かした。

*  *  *
林:東日本大震災が起きたときも、もちろん現地に行って取材なさったんですよね。

丸岡:地震が発生した次の日に陸前高田に入ったんですけど、ご遺体にかけるブルーのシートが間に合わなくて、地元の方々が流れてきた布団をかけているんです。それでも、紫色のパンパンになった脚がむき出しになっていたりと、そうした状況の中を歩いて、映せるもの映せないものを取捨選択しながらの取材でした。

林:想像できないくらい、むごい状況だったんですね。

丸岡:泊まるところがなくて、取材現場から100キロほど離れたところにあった温泉宿が、もちろんガスも電気も水道もダメだけど、横になるだけなら、ということで貸してくれたんです。そのままの格好で布団をかけて寝ようとしたんですけど、体はものすごく疲れているのに、交感神経は張りつめたままで、ウトウトすると、コンクリート詰めにされる夢を見てガバッと起きてしまうんです。

林:そういうストレスも、あとで考えれば、うつになる要因になっていたという感じですか。

丸岡:そうなんですよね。

林:とうとうニュース読みも怖くなって、最後は漢字にルビをふっていたんですってね。

丸岡:トチったら終わりだという強迫観念がワッと湧いてきて、「山」とか「川」とか、そういう簡単な漢字にも振り仮名をふっていましたね。速報のニュースが入ってきていたら、対応できなかったと思います。

林:それで夏休み前に休暇をとって、故郷の徳島に帰ったんですね。

丸岡:はい。両親も前の日までテレビで私を見ていたので、何がどうなっているのかわからないという感じでしたね。

林:実家に帰ってからもますます体調が悪くなって、「こんなふうに悪くなっていくのは、お母さんが私の食べるものにヒ素を入れているんじゃないか」と思ったんですって?

丸岡:そうなんです。前にヒ素の取材をしたことがあって、ヒ素中毒の症状と自分の症状が合致する点が多かったので、母がヒ素を盛ったに違いないと思い込んでしまったんですね。そのときがうつのピークだったと思います。

週刊朝日 2014年1月17日号


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