日テレ学院学院長石川牧子(いしかわ・まきこ)1949年生まれ。元日本テレビアナウンサー。97年、在京キー局で初の女性アナウンス部長に。現在は後進の指導などにあたる(撮影/写真部・工藤隆太郎)
日テレ学院学院長
石川牧子(いしかわ・まきこ)

1949年生まれ。元日本テレビアナウンサー。97年、在京キー局で初の女性アナウンス部長に。現在は後進の指導などにあたる(撮影/写真部・工藤隆太郎)

 いざとなると戸惑う親の介護。仕事を持っていれば離職するかどうかと迷い、長引けば自分の健康も心配だ。日テレ学院学院長の石川牧子さん(64)の母親がパーキンソン病で亡くなったのは15年前。石川さんはテレビ局のアナウンサーとして第一線で働きながら、東京―仙台の「遠距離介護」を7年間続けた。

*  *  *

「お母ちゃんが起き上がれない!」

 慌てた父からの電話で、母の異変を知りました。パーキンソン病は徐々に神経が侵され、体が弱っていく病気。手を貸しすぎると筋肉の衰えが早くなるので、周囲は根気よく見守らないといけないんです。

 私は4人姉弟の2番目ですが、姉は仙台離れて嫁いでいたし、2人の弟もそれぞれ仕事があり、バリバリ働かなくてはならない。未婚の私がいちばん身軽でした。何よりも母が好きだし、独占できることも嬉しかった。そうはいっても、介護生活は想像以上に大変でしたね。

 週2日の公休日を利用して新幹線で実家に通いました。私自身も途中で肋膜炎を患ってしまい……。主治医にはグリーン車での移動を勧められ、ボーナスはすべて交通費に消えました。

 それでも仙台から東京に帰ると、すぐに引き返したくなる。仕事を続けるか辞めるか。振り子のように、気持ちが揺れましたよ。

 その思いが強まったのは介護が始まって2年目。ある日、鍋がへこんでいた。母に聞くと「どこかから降ってきたよ」。実は、父が鍋を壁に投げつけていたんです。

 母はパジャマを着るのに30分以上かかり、おねしょもする。父はストレスがたまって、ついに「アイツと離婚する」と言いだした。二人きりにはできない、と思いました。

 退職するつもりで上司に相談しました。「大変だな。そうしなさい」って言われると思ってました。ところが、意外な答えが返ってきたのです。

「何を言ってる。いま収入がなくなったら、これからの生活はどうするんだ」

 現実的な言葉にハッとしました。まだ自分がやっていないことが多くあると気づき、その後は父が嫌っていた他人である看護師さんの訪問を頼んだりするようになりました。

週刊朝日 2013年12月6日号