時代に逆行するかのように、若い芸者衆が増え、かつての勢いを盛り返しはじめた花柳界がある。地元財界が支え、株式会社形式の置屋をつくった新潟。最前線を花柳界ライターの浅原須美氏が取材した。

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「職業欄に『会社員』と書けるからクレジットカードの審査も通りやすいんですよ」と、島田の鬘(かつら)に裾を引いた留め袖姿のあおいさんがにっこり笑う。

「高校3年生のときに参加した就職ガイダンスで、芸妓ってお酒の席のお仕事なんだと初めて知りました」と屈託がないのは、桃割れの鬘に振り袖姿の初音さん。二人とも、新潟市の伝統ある花柳界・古町の芸者さん=古町芸妓だ。

 え? 芸者さんなのに会社員? そう、彼女たちは「柳都(りゅうと)振興株式会社」という日本で最初の芸妓養成・派遣会社(いわば株式会社形式の置屋)の社員なのである。

 新潟の花柳界では、この社員芸妓(通称「柳都さん」。18歳~20代が中心)と、旧来の置屋の看板を背負う自営業者の芸妓(通称「お姐さん」。60~70代)が一緒にお座敷や舞台を務める。若い柳都さんが踊り、ベテランのお姐さんが習得に年月を要する三味線や唄を担当するのだ。

「若さという“花”がなければお座敷は華やぎません。でも、花の美しさは枝葉や花器があるからこそ映えるもの。私たちは、花の美しさを際立たせる枝葉になろう、新潟には料亭さんという素晴らしい花器がたくさんあるのだから、と思っています」(お姐さん芸妓の福豆世さん)

 柳都振興には既に四半世紀の歴史がある。設立は1987年の暮れ。いったいどのようないきさつで生まれたのであろうか。

 日本舞踊市山流が本拠を置く芸どころ新潟。昭和初期の最盛期には300人を超えた古町芸妓も、気がつけば5分の1に。20年間、新人が出ておらず、最若手がすでに30代後半になっていた。このままでは花柳界の消滅は必至、と危機感を持った一人が当時新潟交通社長の中野進氏だった。

「江戸時代から、豪商・豪農の旦那衆が個人の財力で花街文化を支援してきたシステムが戦後、崩壊し、個人の置屋で若い人を育てきれなくなった。そこで置屋を企業化し、大勢がスポンサーになって支えることを考えたのです」(中野氏)

週刊朝日  2013年11月29日号