五木寛之(いつき・ひろゆき)1932年、福岡県生まれ。作家。生後まもなく朝鮮半島に渡り、敗戦後、福岡に引き揚げる。『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞受賞。『青春の門』『大河の一滴』『親鸞』などベストセラー多数。近著に『生きる事はおもしろい』(撮影/遠崎智宏)
五木寛之(いつき・ひろゆき)
1932年、福岡県生まれ。作家。生後まもなく朝鮮半島に渡り、敗戦後、福岡に引き揚げる。『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞受賞。『青春の門』『大河の一滴』『親鸞』などベストセラー多数。近著に『生きる事はおもしろい』(撮影/遠崎智宏)
姜尚中(カン・サンジュン)1950年、熊本県生まれ。政治学者。東京大学大学院情報学環教授を経て、現在、聖学院大学全学教授。著書に『マックス・ヴェーバーと近代』『悩む力』『母―オモニ―』『心』など(撮影/遠崎智宏)
姜尚中(カン・サンジュン)
1950年、熊本県生まれ。政治学者。東京大学大学院情報学環教授を経て、現在、聖学院大学全学教授。著書に『マックス・ヴェーバーと近代』『悩む力』『母―オモニ―』『心』など(撮影/遠崎智宏)

 作家の五木寛之氏と政治学者の姜尚中氏には、美術に造詣が深いという共通点がある。ふたりが「美術の力」について語り合った。

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五木:美術は美とか安らぎを得るだけのものではありません。特に近代とか現代の人にとって、優しいメロディーを聴いているうちに心が変化するように、無意識のうちに感性を変革してしまう強い力を持っている。

姜:おっしゃる通りだと思います。自分の記憶や感受性、色の感覚も変わっていきますね。昔は抽象画を見ても何の感動もなかったんですが、NHKの「日曜美術館」という番組をやっているときに千葉の川村記念美術館でマーク・ロスコを一人で満喫する機会があったんです。ロスコを見ているうちに、いつの間にか自分が溶け出すような感覚を覚えて、小さいころ母親に手を握られてあぜ道を一緒に歩いた光景が突然出てきた。そのとき初めて、抽象画は自分の記憶を引き出してくれるものだと知りました。

五木:なるほど。美術との出会いは人の感性も変えるし、もっと言えば人生観までも変える。ある意味で思想とか哲学と非常に深く関わってると言えますね。僕は昔、テレビの仕事で本物のシスティーナ礼拝堂の修復作業に立ち会いました。カメラと一緒に天井のすぐそばまでいってミケランジェロが描いた天井画を見たのですが、黒人の少年みたいに見えていた人物が洗浄してみるとバラ色の肌をした白人の少年だった。全体的に薄暗かった礼拝堂が驚くほど鮮やかになって、印象がガラッと変わりました。でも過去、何百年の間、みんなこういうものだと思って見てきてるわけですから。

姜:そうですね。

五木:それで思い出したのがフランスの作家で文化相になったアンドレ・マルロー。彼は「建築物はできたときの姿で鑑賞される権利を持つ」と言って、黒かった凱旋門からノートルダム寺院までパリの街をエアブラシで洗って、真っ白にしたわけ。それを見てみんな「歴史や時間の経過の味わいがなくなる」と批判したんだけど、パリが灰色から白くて軽やかな街に変化してから、ウンガロとかピエール・カルダンとかカラフルな明るい色彩を使ったイタリア系のデザイナーがどおっと出てきて賑(にぎ)わうことになる。色彩が人に与える影響は大きいですよ。だから美術品も「できたときの姿で鑑質される権利を持つ」と考えれば、古いものは洗うべきだと思いましたね。

姜:そうですね。

五木:我々はそこのところちょっと誤解してものを見がちなんですよ。日本の場合は年月が去って寂び寂びとした感じがいいということで、京都の古寺なんかに行く。でも薬師寺だってね、できたときはつけ麺チェーンみたいな極彩色ですから。

姜:そうです、そうです(笑)。

週刊朝日  2013年11月15日号