「トヨタがリコール問題で米国内で責められた時、豊田社長は現地に行って涙を流して従業員に語りかけていた。『朝ズバッ!』でそれを紹介して『やっぱり世界のトヨタだなあ』と言ったら、後日、豊田社長が『うれしかった』と、事務所に会いに来てくれました。だから僕も工場に行って、従業員に頭を下げて説明しなければと思っています」

「ニッコク」は2003年に談合事件で東京地検特捜部の捜索を受け、公正取引委員会の排除勧告を受けた。このことも、みのの過去の不祥事として頻繁に報道されている。

「談合事件の話もオモチャにされてますけど、水道メーター業界は上場会社が2社しかなくて、その2社が全部牛耳って談合をやっていたんです。我々零細企業は言いなりの値段を出さざるを得なかった。上場していた1社が倒産してからは値段のたたき合いになり、東京都水道局に入っていた四十数社のうち、残ったのは5社です。なんとか会社を残したいと思っていますが、年末どうなるか。覚悟はしています」

 妻子を抱え、無職となった次男を自社に入れるのではないかとも噂されるが、きっぱりと否定した。

「あいつにはそんな実力がない。僕は幸か不幸か30代前半で文化放送を辞めざるを得なくなって、当時は従業員18人の『ニッコク』の営業で10年間、走り回りました。今でもメーターを自分で組み立てられるし、図面も描ける。上場会社は楽に仕事をとっていくのに、こちらは頭下げてペコペコして……『何くそ!』と思いました。銀行にお金を借りるために逗子にあった自宅を担保に入れて、すべてをなくすかもしれないと思ったこともあります。その借金を返し終えた時の登記簿は、今でも記念にとってある。雄斗は、まだ本当の生きるつらさをわかっていない。まだこれからだと思います。今、子供と向き合って、親の大変さを身をもって感じてほしい。そして立ち直ってほしいです」

週刊朝日 2013年11月15日号