がんには「本物のがん」と「がんもどき」があるという独自の「がんもどき理論」を展開する慶応大学放射線科講師の近藤誠医師。この理論に対し小説『白い巨塔』の主人公・財前五郎のモデルとなったとされる日本外科界の権威、大阪大学第二外科元教授神前(こうさき)五郎医師が反論。撤回を求めるため、二人の直接対決が実現した。2時間半にもおよぶ大激論はどのような結末を迎えたのか。

 近藤医師の「対談承諾」を受けた時点で、神前医師は三つの条件を提示した。

(1)健康上の不安があるので、なるべく早く対談すること。
(2)対談結果に対してお互い、勝利宣言も敗北宣言もしないこと。
(3)科学的なすり合わせにより統一見解を出し、両者はその統一見解に従って、今後行動すること。

 とくに(3)について、神前医師は、「がんもどき理論を撤回してもらうために、統一見解を出すよう対談する。対談して、がんもどき理論の誤りを示せたとしでも、これまで同様にがんもどき理論を主張されては意味がない。それは科学者として良心に反する、正しくないとわかっていることを主張する行為だ」と、絶対に承諾してもらわねばならない条件と固執した。その背景には、94歳という高齢の今、自分が生きているうちに、「今後」の行動を近藤医師に約束してもらいたい、という思いがあるのだという。

 本誌記者がその条件を近藤医師に伝えると、近藤医師は、(1)(2)は快諾し、(3)については、「そもそも統一見解を出すことが難しいだろうし、将来の行動を拘束するような約束はできない。人の見解や行動は変わる可能性がある」と反発。本誌記者が複数回、条件交渉を仲介し、(3)の条件は「もし見解が一致した部分があれば、その見解にもとづいて行動する」という妥協案でようやく対談の日取りが決まったのだった。

 そのため、容易に統一見解には行き着かない。丁々発止の議論は平行線のままかと思いきや、途中、近藤医師が神前医師の意見に唯一賛成する場面があった。

「私なら手術のとき、腹膜播種(はしゅ)の斑点を見つけたら、その時点で手術をやめる。がんに手を加えると増殖してしまう。そのままおなかを閉めると、割合がんはおとなしい。当時、変人扱いされたけど、僕はそういうアグレッシブな手術はしなかった。それは患者のためにならない」

 この神前医師の発言に、近藤医師は、「それは慧眼(けいがん)ですね。私も賛成です。腹膜播種があるのに手術してはいけない」と言って、自ら神前医師の手を取り、握手した。まさに歴史的和解の瞬間かと思えたが、神前医師が「ただ、おなかを開けないとわからない」と付け加えると、「それには反対だ」と近藤医師は返した。見解が一致したのは、対談全体を通してこの1点のみだった。

 議論は、近藤医師の時間の都合もあり、2時間半をもって打ち切りとなった。

 神前医師はまだ続けたい様子だったが、無念さをにじませながらこう締めくくった。

「いろいろ話してみても、やはりがんもどき理論は架空の考え方であると思う。証拠が不確かで認めることはできない。ぜひとも科学論文として出して反論してほしい」

 一方、近藤医師は、「予想されたところではあるが、早期胃がんを手術する根拠、放っておけば転移して死んでしまうということは実証されなかった。がんのなかで、成長速度が違う証拠もない。それをもっと謙虚に認めるべきだと思う。ただ、転移があるがんをむやみに手術してはいけないという点については一致できた。そこは有意義な話ができたと思う」と感想を述べた。

 最後まで見解をすり合わせることはできなかったものの、近藤医師は逃げることなく、神前医師の「果たし状」に受けて立ち、2時間半の議論を尽くした。神前医師も自らの限られた時間を見据えながら、医師として使命を果たさんとしていた。まだまだ未解決なことは残っているとし、これからも近藤理論への反論を続けていくという。

週刊朝日  2013年9月20日号