佐野元春 「僕はロックで日本の音楽を丸ごと変えようと思っていた」

週刊朝日
『アンジェリーナ』『SOMEDAY』『約束の橋』などの曲で知られる佐野元春。27歳の時に自身が制作した幻の音楽ドキュメンタリー『Film No Damage』が9月7日、公開される。デジタル・リマスタリングされて30年ぶりに蘇った映像を振り返り、その“ロック史”を語った。

――当時、音楽ドキュメンタリーを作ることは珍しかったとか?

 80年代中盤からMTVが始まって欧米では映像と音楽が密接に結び付くんですが、それ以前はバラバラ。MTVは“ビデオ”というハードウェアが一般的になった後のプログラムで、それ以前は“フィルム”でしたから、凄くコストがかかったんですよ。それを、どう回収するの?という話です。それでも僕は記録しておきたくて、自分でプロデュースして作りました。

――それだけ思い入れのある映像なのに、オリジナル原版が行方不明だった?

 事務所にVHSのテープはありましたが、あくまで資料程度のクオリティー。オリジナルは貴重だし、力のあるものですから、「ぜひ探し出してほしい」と関係者に声をかけていて、去年、レコード会社の倉庫の奥のほうから「見つかった」というニュースが飛び込んできて……嬉しかったですね。まもなく「デジタル・リマスタリングして上映してみたい」という話を頂いて30年ぶりに蘇ることになって、「素晴らしいな」と思いました。

――久々にオリジナルを見た印象は?

 多少シャレて言えば、タイムマシンに乗って27歳の自分に会いに行ったような……若い頃特有の性急さ、経験がない部分をカバーしようとする向こう見ずな情熱、そして、過剰さ……このフィルムの中の僕には、そんな要素を感じます。当時の僕は日本の音楽を丸ごと変えようと思っていた。何かを変えるときは過剰さが必要で、通り一遍では変わらない。理屈を吹き飛ばすだけの過剰さ、イコール、ロックン・ロール。

――その過剰さは、どんな場面に?

 例えば『悲しきRADIO』の中の後半の演奏場面……繰り返し同じコードでダンスをしながらオーディエンスを熱く煽っていって、シャウト。そこまでする必要ないのに、というシャウトです。「愛する気持ちさえ分け合えれば」と歌いながら体をシェイクするんですが、今の僕のシェイクが8ビートだとしたら、あれは16ビート。過剰です。そうした場面があちこちに……変えたい、というエネルギーが過剰さを生んでいると思うんですが、そんな稀な瞬間がフィルムに定着されているんです。

――過去に、ご自分の経験だけで作詞するのは恥ずかしい、と語っていますね。

 僕は80年からソングライティングを始めましたが、当時の日本のポップ、ロックのリリック(歌詞)は私小説の形態で、お嬢様のブログ日記のように“私”を歌っていました。想いが一方的で客観的な見方がなくて……僕にはリベラルな若者たちのこんな声が聞こえてきたんです。「歌手の私事なんて、かったるくて聴いてられない。この都市で起きている複雑なことを誰かが物語にして歌にしてくれ……」。そこで作ったのが『アンジェリーナ』『SOMEDAY』『ロックンロール・ナイト』。私小説でなく、彼と彼女という三人称が主人公の曲です。そんな新しいソングライティング・メソッドを持ち込んで、新しい世代に聴いてもらいたい……それが、この『Film No Damage』の時代の僕でした。

――映像の中の、あどけない表情が印象的です。

 往年のロックアーティストの初期を記録した映像を見ると、皆あどけなくて無邪気さが残っているんだけど言ってることは老成してる。観念の部分では人よりずいぶん先に行っちゃってるんだけど身体だけは若い……そのアンバランスさが人を惹きつけるというか、調和が取れてたらオーラは出ないでしょ? 自分がそうだとは思わないですけど、このフィルムを見て、バランスは悪いなと思いますね。

週刊朝日  2013年9月13日号

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