戦争に対してどんな論理よりも「絶対にイヤ」だというジャーナリストの田原総一朗氏。しかし、以前行った20代の社会学者との対談で、世代のギャップを感じたという。

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 世界各国の戦争博物館を見て回り、『誰も戦争を教えてくれなかった』という本を書いた古市憲寿氏(28)と、NHKの「ニッポンのジレンマ」という番組で対談をした。

 その番組で、古市氏に「日本に戦争博物館がないのはなぜでしょうか」と、尋ねられた。私は古市氏より51歳年上だから答えられると思われたのかもしれないが、理由がわからず、うーんとうなってしまった。そして「私を含めて日本人は戦争が絶対にイヤで、戦争について考えることも分析することもイヤで、だから戦争博物館がないのではないか」と、中途半端な答え方をした。

 すると古市氏が、「田原さんたちは戦争が絶対にイヤですか」と念押しをした上で、「私たちは戦争についてもっとクールで、この場合は戦争をしたほうがよいとか、この場合は戦争をしないほうがよいとか、論理的に判断してディスカッションできます」と話した。

 古市氏の説明は、私にとって衝撃的で、新しい世代が誕生したのだな、といたく感じた。私は、そしておそらく私たちの世代は、たとえどんな理由があったにせよ戦争はイヤである。論理よりも前に、絶対にイヤである。古市氏のように戦争をクールに語る世代が誕生するとは、思ってもいなかった。その意味で、衝撃的だったのである。怖いな、とも思った。

 だが、逆に言うと、戦争は絶対にイヤだということが、私たちの世代の限界、あるいは弱点なのかもしれない、とも感じた。おそらくアメリカやロシアや中国など世界の多くの国の人々は、古市氏と同じように「この場合は戦争をしたほうがよいか、しないほうがよいか」と、論理的に考えるのが常識となっているのではないか。だからこそ、例えばアメリカは、ベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争など何度も戦争を起こしてきた。

 だが少なくとも私には、戦争という選択肢はない。そして、そのことが弱点ではないかとも思う。しかし、それでも戦争はイヤである。たとえ古市氏に軽蔑(けいべつ)されてもイヤである。

 もう一つ、古市氏との対談で新しい発見をした。

 私は、もちろん民主主義は大事だと考えているが、あくまで国家あっての民主主義ととらえている。国家のない人間というのは存在し得ない、と私は考えている。だからこそ、例えば日本という国家について、ここが問題だ、この点では国民を抑圧している、この点は干渉しすぎだと、容赦なく異議申し立てをする。それは国家あっての国民だととらえているからだ。もっとも、この表現は間違いで、国民あっての国家と言うべきだろう。しかし、いずれにしても、この国家の中で生きているのだと認識している。

 だが、もしかすると古市氏の認識は、私とは相当異なっているのではないか。古市氏たちは、日本になど、それほどこだわっていないのではないか。日本が住みにくければ香港にでもシンガポールにでも、あるいは上海にでもニューヨークにでも、自由に移り住むのではないか。現に、古市氏の企業は中国やシンガポールなどアジアの少なからぬ国でビジネスをしているそうだ。その古市氏に、なぜこの日本に住んでいるのかと問うと、「今のところ何となく住みやすいから」だと答えた。

 明らかに、国家にこだわらない新しい世代が誕生しているのである。

週刊朝日 2013年9月13日号

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田原総一朗

田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

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