時代が大正、昭和と進むにつれて、日本軍の勢いは増していった。軍幹部の登竜門である陸軍士官学校の入学試験の問題も、単なる知識を問うのではなく、軍国主義的な政治色を帯び、国粋主義的、神秘主義的な文言も増えてくる。悲惨な戦争に突入する時期の旧日本軍の試験をジャーナリストの菊池正憲氏が追った。

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「或(ある)夜私ハ眼ヲ開イタラ乃木大将卜向ヒアッテ立ッテ居夕。私ガ軍人ニナラウト決心シタノハ丁度其(その)時ノコトダ」

 1919(大正8)年に行われた陸軍士官学校(陸士)の入学試験では、「和文英訳」でこんな問題が出た。「乃木大将」とは、日露戦争(1904~05)で英雄視された乃木希典(まれすけ)元陸軍大将を指すと思われる。陸士試験に合格し、将校になる――。それが文字通り大きな「夢」だった当時の少年の思いを代弁しているかのようだ。

 この問題を含め、大正時代の陸海軍学校の試験問題を数多く掲載する『陸海軍諸学校入学試験問題集』は、政治、軍事や教育の調査研究団体である「帝国連合青年会」が1921年に発行した。巻頭に掲げられた設立趣意書には「我(わが)大日本帝国は東洋に於(お)ける先駆者なり木鐸(ぼくたく)者なり。青年は国家の気力なり血脈なり実に新文明の原動力なり。東洋の危局を救ひ……」と、勇ましい文言が滔々(とうとう)と掲げられている。

 試験問題をさらに見てみよう。1919年実施の陸士試験の外国語科目「支那語(中国語)」では、「自分の考えでは支那は日本商品の大なる販路であると思う」と、今の日本にも当てはまるような状況を和訳させる問題も出た。

 陸士試験では複数の語学の試験問題が出るケースも多かった。1910年に日本が併合した韓国や、中国大陸などで国境を跨(また)いで軍事作戦を立てる関係上、英語中心の海軍と異なり、陸軍ではロシア語やドイツ語、フランス語、中国語にも通じる必要があったのだろう。

週刊朝日  2013年8月30日号