薬師縁日の読経の様子(薬師寺東京別院で) (撮影/倉田貴志)
薬師縁日の読経の様子(薬師寺東京別院で) (撮影/倉田貴志)

「お経」を声に出して読んだことはありますか? 死者を弔うためだけにあるのでなく、そこには人間が生きていく知恵が宿っている。自ら唱えれば、苦しみ、悲しみ、惑う心も安らかに。難しそうだと遠ざけていないで、奥深い古(いにしえ)の世界に触れてみよう。

 葬式や法事で耳にしたことはあっても、漢字の集合体とか暗号のような音の羅列と思えてしまう30代半ばの記者は今回、薬師寺東京別院(東京都品川区)で読経を体験することにした。

 法相宗大本山薬師寺(奈良市)は、680年に天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気回復を祈って建てた。檀家や墓を持たず、葬儀も引き受けない。つまり死者のためではなく「生きている人」が対象の寺だ。ここで「生きるためのお経」に触れようと思った。

 毎月12日の「薬師縁日」は、集まった人全員でお経を読み、そのあとで法話を聞くという。開始時刻の午後1時前、本尊のある御堂に入ると、一人また一人と、腰をおろしていた。ざっと数十人。8割が女性で、50~70代と思われる。記者は「勤行集」(800円)を買い求めて着席した。定刻になって山田法胤(ほういん)管主(かんしゅ)が現れ、その左右に5、6人の僧が並び、恒例の法要が始まった。

 管主らの声に合わせ、参加者一同でお経を唱え始める。初体験の記者も漢字のルビを目で追い、恐る恐る声に出してみた。初めは周囲のテンポに遅れまいと必死だった。一心に唱え続けるうち、不思議と心のざわつきが静まっていく。僧たちの低く落ち着いた声に幾人もの声が重なり、御堂全体に響き渡る。同じ空間で、同じ時に、同じ言葉を口にする。約30分後に唱え終えた時、全身が温かいぬくもりと達成感に包まれた。

 参加者に動機を聞いた。「お坊さんと一緒に唱えられるのが魅力。朝起きて参加を迷う日もありますが、毎回必ず『行ってよかった』と思う」と笑顔を見せたのは50代の女性だ。

「2年前に仕事を辞めてから、盆暮れと春秋の彼岸の年4回、自分と夫の両親に思いを馳せて唱えている」(67歳女性)

「幼いころに出かけた展覧会で薬師寺を知り、それからずっと無沙汰だったが、心のゆとりが生まれた最近から通い始めた」(60代女性)

 参加者の多くは自分自身や死者と向き合う、心穏やかな時間を過ごしていた。山田管主によると、読経の留意点は五つある。

1. 背筋を伸ばし、姿勢を正して座る。肩の力を抜くのもポイント。
2. 経本の位置は、読みやすいように胸の前へ。
3. おなかに力を入れ、大きな声で唱える。
4. リズムを付けると精神統一しやすい。一人で読む場合は読みやすいリズム、大勢ならば木魚や拍子木に合わせて声をそろえる。
5. 息継ぎの場所は個人差があるのでどこでも良い。

週刊朝日  2013年8月9日号