不況のあおりを受け、いまだに明るい兆しが見られない飲食業界で、昼と夜で違う店を営む「二毛作ビジネス」が増えているという。

 組み合わせる業態によっては相乗効果が狙えるのが「二毛作」のメリットだろう。だが、入れ替わりが激しいのも、外食産業の常。「二毛作」を試みるも、半年から1年で撤退、もしくは閉店を余儀なくされる店舗も多いのが実情だ。

 その理由について、全国飲食店振興協会理事長の山本良平氏はこう分析する。

「たとえば、ラーメン店が、夜空いてるからとバーを始めます。最初は友達や一部のお客さんが集まってくれますが、すぐに頭打ちになってしまう。それは、お酒を扱うバーとラーメン店では経営ノウハウがまったく異なるからです。ノウハウがないのに、付け焼き刃で二毛作店をやると、まず長続きしません。似た食材を使って料理を変える二毛作ビジネス店は増えていますが、違う業態を組み合わせて、その一方に飲食店を入れるというパターンはハードルが高いと思います」

 では「二毛作」を長続きさせる条件とは何か。

 東京・神楽坂に、老舗がある。創業は1966年。「神楽坂そば」として地元客に愛されていたが、先代の死去や景気の悪化もあり、99年からは夜にワインバー「ル・トランブルー」を営業する「二毛作」を始めた。ワインバーは大成功し、隣町に2号店を出すまでに成長した。発案者は、先代の息子である中嶋卓也氏。そば店は実母に任せて、自身はワインバーを起こした。

「夜に始めるのが、そば居酒屋ではつまらないでしょう。僕がワイン好きだったこともあり、ワインバーにしようと。そこは、まあ思いつきです(笑い)。『二毛作』の発想は、昼は喫茶店で夜はバーになる『プロント』の形態もヒントにしました。そば店のメニューでワイングラスが隠れるように棚を配置したり、ワインセラーも透明な扉ではなく中が見えない木製にするなど、内装はそば店とも共存できるように工夫しました。また、そばのにおいが残らないように、3つある出入り口をすべて開け放ってしっかりと換気をすることも意識しました」

 当時、神楽坂にはカジュアルなワインバーがなかったことなども功を奏し、経営は半年ほどで軌道に乗ったという。先見の明もあったが、成功の秘訣を中嶋氏はこう語る。

「昼と夜が別の経営者だと、お互いに責任転嫁するなど問題が起こりかねません。その点、ウチは親子経営なのでうまくいっています。あとは、私がそば店と並行せずに、ワインバーに専念したことでしょうか。そば店とワインバーでは客層がまったく違います。中途半端ではお客さんは絶対についてきてくれません」

 肝要なのは、その道を究めようとする姿勢なのだろう。「二毛作」はデフレで冷え込んでいた外食産業の“起爆剤”となるかもしれない。

週刊朝日 2013年8月2日号