彦根城の命運を握るひこにゃん (c)朝日新聞社 @@写禁
彦根城の命運を握るひこにゃん (c)朝日新聞社 @@写禁

 江戸末期、桜田門外の変でたおれた大老・井伊直弼の居城でもあった彦根城。この「国宝」が世界遺産の暫定リストに入ったのは、1992年。「オリジナルメンバー」だ。しかし、以来、20年間、後から暫定リストに入った文化財が次々世界遺産になっていく中、ユネスコに推薦されることなく「たなざらし」状態が続いている。なぜか。

「実は早い段階で内々にユネスコ側から登録は難しいと通知されてしまったのです」(文化庁関係者)

 類似した文化遺産が国内にあると、登録は難しいとされる。近世の城郭でいうと、姫路城が国内の世界遺産第一号として93年に登録されている。よって、彦根城は、リスト入り1年にして、暗雲が立ち込めてしまったのだ。

 しかも、当初、地元の盛り上がりもいまひとつだった。「公募組などのように、地元の運動の末、リスト入りした、というわけではありません。国がつくったリストに、いわばいつのまにか載っていた。行政には当初、さほど熱意はありませんでした」(関係者)。しかし、2009年に前彦根市長が「彦根城を世界遺産に」を公約にすると、状況は一変。文化庁との交流人事を始めるなど、本腰を入れ始めた。

 さらに強力な「助っ人」が登場した。その名は「ひこにゃん」。彦根城築城400年祭のマスコットとして07年に生まれたのキャラクター「ひこにゃん」は、10年、ゆるキャラグランプリで優勝。今では本の「くまモン」と人気を二分する「ゆるキャラ界の2トップ」だ。「ひこにゃん」フィーバーで、彦根城への注目は急上昇。年間30万台だった入場者数は、以後、70万から80万台で推移。「5月の連休中は天守閣が2時間待ちになった」(職員)というディズニーランド並みの盛況ぶりだ。その収益などから、城を管理する職員も倍増。天守閣横のやぐらで、世界遺産を目指す企画展示も始まった。

「先行して姫路城があるという状況は変わりませんが、彦根には姫路にない庭園もあり、江戸時代の大名文化を体現している。場合によっては、犬山城や松本城というほかの国宝の城と連携するという策も検討しています」(同市)

 文化庁は「いずれにせよ、文化財を守る機運が盛り上がるのはいいこと」と少々つれない。また、ともに「オリジナルメンバー残留組」として「相談もしてきた」(同市)という鎌倉は今回、推薦取り下げに。情勢は厳しいが、彦根市民は「ひこにゃん」パワーで一発逆転に虎視眈々(こしたんたん)である。

週刊朝日 2013年6月28日号