「1998年に私が駆け込んだ段階で警察が動いとったら、それ以降に死んだ人らはみんな助かっとったと思うんです。それが悔しくてたまらんのです」

 そう訴えるのは、兵庫県西宮市に住む山口利治さん(仮名=54)である。山口さんは「尼崎連続変死事件」の主犯である角田(すみだ)美代子元被告(兵庫県警本部内の留置施設で自殺=当時64)の遠縁にあたる。彼は他の親族らとともに、98年3月から約1年8カ月にわたり、美代子元被告らによって、西宮市の高層団地などに軟禁されていた。

「美代子は伯母の葬儀にやってきて、段取りや遺骨の取り扱いについて難癖をつけ、私の父やその姉らを人質にして、親族を呼びつけました。以来、最初は『落とし前を払え』やったのが、徐々に支配に変わっていき、軟禁後は親族間で暴力を振るわせ、カネを奪うようになったのです」

 軟禁の渦中にある98年夏から冬にかけ、山口さんは兵庫県警甲子園署に計3回駆け込んでは窮状を訴えた。が、いずれも「民事不介入」を理由に警察が動くことはなかったという。

「最初は美代子との関係に始まり、これまでのことを2~3時間かけて説明しました。しかし相手の警察官はシラけた様子。諦めて帰る前に、今日私が来てこういう話をしたことだけは記録しておいてくれと言うと、その警察官は『わかった』と答えました」

 しかし、2カ月ほどして山口さんがふたたび同署を訪れると、前回に来た際の記録は残っておらず、またイチから説明を繰り返すことに。山口さんは嘆く。

「その時も私に話をさせるだけさせて、諦めて帰るのを待っているような感じでした。案の定、『親族間の争いごとについては民事不介入やから』と断られ、私は1回目と同じく、今日のことは記録に残しておいてほしいと言い置きました」

 が、その願いも空振りに終わる。3度目に訪れた際にも、またまたイチから説明することになった。「話しながら、これはあかんやろうなと思いました。私はヤケクソな気分になり、帰り際に警察官に、『困ってる人間の話であんたらが出動するためには、事件化せなあかんねんな。ほな、事件にしたるわ』と捨てゼリフを吐いて甲子園署を後にしました」。

 ついに山口さんは美代子元被告を刑事事件に巻き込み、警察を動かそうと考えるようになった。そこで思いついたのが、以前、仕事で立ち寄った倉庫での窃盗だった。

「美代子に警備が甘いと提案すると、すぐに乗り気になった。そこからは美代子や親族なども加わって窃盗を重ねました。が、いざ出頭となると、妻子の顔が頭に浮かび、踏ん切りがつかなかったのです」

 山口さんは窃盗に加わるのを控えた。すると、99年11月になって、美代子元被告が親族のAさんという20代の青年を伴い、山口さんに「窃盗に行け」と脅しをかけてきたのだった。「Aの目つきが尋常ではなかったので、妻子を伴ってその日のうちに団地から逃げ出し、兵庫県内のある街に潜伏しました」。

 そんな2000年1月のある日、郵便物の転送願いを出していた山口さんのもとに、駐車違反の通知はがきが転送されてきた。彼が一時期、西宮市に置き去りにした車に関するものだった。山口さんは言う。「西宮署に出向き、この車は日常的にAが運転していたと話しました。そこでAが、前年12月に自殺していたことを知ったのです」。

 この段階で、山口さんは覚悟を決めた。山口さんは窃盗事件での出頭を決意し、その場で洗いざらい話した。翌2月、山口さんと美代子元被告を含め、窃盗に関与した全員が逮捕。2年弱続いた“家族乗っ取り”に終止符が打たれたのだった。

「でもね、それでも結局事件化されたのは窃盗だけでした。私も美代子も懲役3年、執行猶予5年の判決で終わってしまいました」

 4月25日、兵庫県警は「尼崎連続変死事件」関連で県内5署に対し、これまで10事案計14件の被害親族や友人による相談・通報があったとの検証結果を公表。うち6事案計10件への対応が不適切か不十分だったと、関係者に謝罪した。「ご本人から聴き取りをした内容を前提にすれば、本件相談が暴行等の犯罪行為を認知する契機となった可能性は否定できないと考えています」(兵庫県警本部)。

 だが、こんなコメントでは、山口さんの憤りは収まらない。「私も検証結果の説明を受けましたが、紙2枚に書かれた内容を読み上げただけ。最後まで直接的な謝罪はありませんでした」。

 山口さんは、本文冒頭の言葉を繰り返すのだった。「私が駆け込んだ段階で警察が動いとったら、それ以降に死んだ人らはみんな助かっとったと思うんです」。

週刊朝日 2013年5月24日号