ベトナム戦争の不発弾処理に苦しむラオス。かつて激しい爆撃を受けた地域を訪れると、爆弾はすでに風景の一部になっていた。

 ラオス北部に位置するシエンクアン県は、土道を家畜が歩き、田園が広がる農村地帯だ。だが、この土地をはじめて訪れた人は誰もが驚く。プランター、家畜をつなぐ錘(おもり)、店のオブジェ……。それらは不発弾処理を終えた鋼鉄の爆弾を再利用して作られている。

 シエンクアン県からラオス南東部一帯は、ベトナム戦争時、北ベトナムへの補給路だった。戦争中には約300万トンの爆弾が落とされ、終結から38年が経った今でも約800万個の不発弾が残る。なかでもクラスター爆弾の子爆弾「ボンビー」は、野球ボールほどの大きさで、現在でも子どもが遊び道具にして爆発する事故が多発している。処理を終えた不発弾は全体の5%に満たず、すべてを撤去するまでの時間は、数百年とも千年とも言われている。

 気が遠くなるような話だが、被害者の多くは明るく穏やかだ。敬虔な仏教徒である彼らは、不運よりも生き残った幸運を口にした。その姿は、悲劇の歴史を自らの強さに昇華しているように見えた。

週刊朝日 2013年5月17日号