筋肉が衰えていく筋萎縮性側索硬化症(ALS)の父を介護した女性、安田智美(41)さん。周囲の協力を得て介護をする「24時間他人介護」を実現した一人だ。体が弱い智美さんをサポートしたのはALS協会を通じて紹介された、ケアマネジャーの長谷川詩織さん(34)だった。

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 長谷川さんは、ヘルパーの入る時間帯を増やしたケアプランを立て、市に申請した。介護保険や福祉サービスは市区町村の税金でまかなっているため、事業所は支給を受けるための根拠となるケアプランを市区町村に申請し、認可されなければ派遣できない。しかし、いくら必要な時間数だと言っても、認可が下りない。

「そんなに大変だったら入院させればいいじゃない」。ときに心ない言葉を投げつけられながらも、2カ月かけてようやく申請を通した。

 智美さんは、市役所に勤める公務員だったため、残業が少なく、有休制度も整っていた。それでも、休めば他の人に迷惑がかかる。仕事をしながらの介護はつらく、特に夜の介護で睡眠時間が奪われるのがこたえた。仕事を変えることも考えたが、経済的に家族を支えていた。やめることはできなかった。

「家族には家族の生き方があって、人生があって、仕事がある。私たちは、介護だけに生きる人生というのはしたくなかったんです」

 その智美さんを、長谷川さんは支え続けた。疲れやすく、体調を崩しやすい智美さんと母のために、医療サービス、介護保険サービス、重度訪問介護を組み合わせ、24時間他人介護までこぎつけた。2011年春のことだ。おそらく福島県で初めての事例だという。

 最初はダメもとでの申請だった。しかし、09年8月に福島県古殿町で、ALSの夫の介護をしていた妻が、介護を苦に夫を刺し殺す事件が起きていた。この痛ましい事件を繰り返さないようにと、市も配慮してくれたのだろう。

 その年の11月、家族に見守られて、父はこの世を去った。享年74。「自宅で看取れてよかった」と、智美さんは心から思う。

 そして昨年3月。智美さんはケアマネジャーの長谷川さんと結婚した。お互い惹かれ合ってはいたが、公私混同してはいけないと長谷川さんが配慮し、父が亡くなるまで、あくまでもケアマネジャーと利用者の関係を貫いた。

 プロポーズは、父の四十九日が済んだあと。そのプロポーズが、交際のスタートでもあった。

 長谷川さんは言う。「介護は家族が担うもの、という思い込みが強すぎる。だから家族が犠牲になってしまうんです。介護は、他人が代わりに行うこともできる。でも家族にしかできないことがある。いい笑顔を引き出すことはヘルパーにはできません。苦楽を共にした家族だからこそ、自分たちにしかできないことをしてほしい」。

週刊朝日 2013年4月26日号