中村雅俊が司馬遼太郎との接点を語る 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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中村雅俊が司馬遼太郎との接点を語る

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 宮城県出身の俳優・中村雅俊さんが作家・司馬遼太郎との接点を語る。高校時代は自転車で電車を追いかけていくようなタフな青年だったという。

「石巻の日和山の頂上近くにある石巻高校で3年間、私はバスケットボールに一生懸命でした。キャプテンだったこともあって、中間テストと期末テストの期間以外は、女川町の自宅から始発の石巻線に乗って学校に行き、午後6時の最終電車で帰っていました。石巻から女川まで1日に8本しか運行していない単線で、石巻駅から日和山を登るのが一苦労。遅れた時は自力で電車を追いかけて、チャリンコ小僧と呼ばれたこともありました。家に帰ると風呂に入って食事してバタンキュー。今考えても充実した生活でした。それでも、宮城県大会ではベスト8が最高でした。

 その日和山公園の隅に川村孫兵衛という人の小さな像がありました。伊達政宗が公共事業の責任者として連れてきた人です。石巻港の礎を築き、慶長三陸地震が伊達藩の領地を襲ったときに、その復旧に尽力したと教えられました。伊達政宗が偉かったのでしょう。支倉常長をスペインやローマに派遣するなど立派な家臣を育てたのですから」

 中村さんは3.11の震災後、石巻や女川などでチャリティーコンサートを行っている。女川の実家は海から200メートルほど。中村さんの親戚といとこが津波に流され、2人が死亡、1人はまだ行方不明だという。

「私が小学生のとき、チリ地震の津波で実家の1階が天井まで水に浸かりました。そのときは山に逃げたりして、波が押し寄せるのを眺めていてあまり危険は感じませんでした。今回はその何十倍の津波ですから、とっさの選択が明暗を分けました。

 とにかく高台に逃げて助かった人、お年寄りを助けようとしたり、財布を取りに家に帰ったりして津波に遭った人もいたそうです。震災後に女川に戻って、石巻線の車両が山の上まで流されていたのには驚きました。

 現地に行くと、東北人だから元気を取り戻しているように見えるけれど、震災から2年が過ぎて復旧の遅れが気になります。地元の女川は産業が水産業しかないので、倉庫とか港とか漁具などの復旧が遅れているのが気になりますね」

 中村さんは震災1年後にドラマで石巻日日新聞の社長役を演じた。実際の社長に会うと、石巻高校時代の後輩だった。司馬遼太郎作品では大河ドラマ「花神」を初の時代劇で演じている。

「私は『花神』で高杉晋作を演じましたが、あのとき司馬さんの『峠』『世に棲む日日』『花神』を読みました。友達の作家、伊集院静さんから『あの高杉役は最高だったよ』と言われたときはうれしかった。桂小五郎、坂本龍馬、福沢諭吉など幕末の偉人を演じましたが、若いエネルギーがはじけないと世の中は動かない。私は安保反対世代で、時の政府に対し、学生の元気がよかった。いまの若者は元気がないですね。

 司馬作品は『竜馬がゆく』も読みましたが、司馬さんの本は歴史の教科書とはまったく違います。登場人物に血が通っているし、特にあまり有名ではなかった人に焦点を当てています。だから、頭に入りやすいし、若い人にも人気がいまだにあるのだと思います。私は年をとるにつれて歴史物が好きになりました。歴史を知れば知るほど、現在の日本が見えてくるような気がするからです」

週刊朝日 2013年4月26日号


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