1993年1月5日早朝、フランスから喜望峰経由で3万キロの長旅を終えた輸送船「あかつき丸」が、茨城・東海港に到着した。原爆100個分のプルトニウムを日本に運んだことで、国際的にも大きな注目を集めていた。旧動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現・日本原子力研究開発機構)が行ってきた「工作」の歴史が記録された「西村ファイル」には、当時の露骨な「情報操作」が記してあった。ジャーナリストの今西憲之氏と週刊朝日取材班が追及する。

*  *  *

「厳秘」と記された92年11月17日付の資料では、事前に情報を伝えるべき相手を「A」「B」の二つにランク分けしていた。説明書きには、こうある。

〈A…理解とご協力を得るため、積極的に説明する対象〉
〈B…報道その他の情勢により判断し、適宜安全性等を中心とした説明をする対象〉
「B」の相手には、報道などで真実がバレてしまったときに仕方なく説明する――ということなのか。

実際のランクを見ると、政治家では、地元茨城県選出の自民党衆院議員だった梶山静六元官房長官と塚原俊平元通産相(ともに故人)が「A」なのに対し、当時、社会党衆院議員だった大畠章宏氏(現・民主党衆院議員)は「B」。露骨な“与野党格差”だ。

 茨城県議は6人がリストに挙がっていたが、県連会長とS県議の2人だけが「A」で、残りは自民系なのに「B」。これについては、県庁幹部とのこんな打ち合わせ記録が残っていた。

〈「S県議はやむを得ないにしても、その他の県議については説明をしないように。(中略)一般的に口が軽いことを想定しなければならないためである」〉

 地元の東海村議に至っては、正副議長や自民系会派の会長ですら「B」で、「A」ランクは皆無。まったく眼中にない。

 ランクは全体的に中央を優先し、地元に辛くつけられていた。警察庁、警視庁、海上保安庁は「A」なのに、周辺自治体の関連部署は「B」。茨城県警や茨城県漁連も「B」扱いだった。事故があれば、もっとも影響を受ける人々に、重要な情報を隠していたのだ。

「動燃が『地域とともに』と口癖のように言っているのが見せかけだけであることがよくわかった。ランクをつけるなんて許せない」。資料を見た元県漁連幹部は、怒りを隠さなかった。

週刊朝日 2013年4月12日号