落語家の桂ざこば氏が芸能生活50周年を記念して初めて綴った自伝『ざこBar』(朝日新聞出版)には、幼くして父親を亡くしたざこば氏の半生が描かれている。心理学者の小倉千加子氏が本書を読んだ感想をこう言う。

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 六代桂文枝、桂ざこば、月亭八方には、共通点がある。子どもの時に父を亡くしていることである。文枝の父は文枝が生後11カ月の時に戦病死し、ざこばの父はざこばが小1の7歳の時に電車に飛び込んで自殺している。八方は中1の時に父親を病気で失っている。

 3人の中で最も生活力に富んでいたのが桂ざこばである。生活力という言い方はおかしいかもしれない。ざこばは、父が死んでもオカンがいたから孤児にならなくて済んだと書いている。母はざこばと姉を養うために着物の仕立てをして必死に働いていた。

「ウチには、僕しか男が居らんのや。オカンを手伝うてやらんとアカンのや。自分の小遣いくらいは自分で稼いだるんや」

 ざこばは小学校5年の時から大阪球場で声を張り上げてアイスクリームの売り子をして働いた。シーズンオフには新聞配達をやった。

 中学生になると大阪球場では「ビール売り」が許された。百貨店で靴磨きも始めた。中2の時、ミナミの繁華街にある精肉店で肉の配達のアルバイトに採用され、店の宿舎で寝起きするようになった。勉強より稼ぐことを優先したために、ろくに学校には行かなかった。日曜は朝から配達をした。

 精肉店の2階にあるすき焼き屋で母は仲居をしていたので、従業員の食堂で賄いを食べる時に顔を見かけることがあったが、ゆっくり食べる時間もなく、話しかけることもなかった。母も一家を支えるために必死で働いていると思うことが心の支えになっていた。

 バイト代のいくらかを母に渡して貯金してもらっていた。

 桂ざこばは、10歳から55年間働いていることになる。

週刊朝日 2013年3月22日号