田原総一朗氏が「タブーなき『朝生』を作ったのは大島渚監督」と振り返る 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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田原総一朗氏が「タブーなき『朝生』を作ったのは大島渚監督」と振り返る

連載「ギロン堂」

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 1月15日、映画監督の大島渚さんが逝去した。享年80。同世代でテレビでもよく共演していたジャーナリストの田原総一朗氏は、「心強い兄貴」と大島監督との思い出を振り返った。

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「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日)は、今年で27年目を迎えるが、初期から中期にかけて、大島さんは作家の野坂昭如さんと並んで、レギュラーのように出演してくれた。大島さんにはタブーやコンプライアンスなど、あってないようなものだった。
 
 朝生では「昭和天皇論」や「被差別部落論」「原発論」「暴力団論」など、タブーとされていたテーマを次から次へと取り上げ、激論を展開したが、そのほとんどは、大島さんが言いだしたものだった。大島さんは、司会の私がいささかでもひるみ、はぐらかすような姿勢を見せると、「バカヤロー」「逃げるな」と怒鳴ってくれた。

 私は、学制が6・3・3制になった「新制中学(現在の中学校)」の第1期生だ。私たちの世代以降は、国家権力の矛盾を突くとき、論理的に説明をしようとするが、大島さんら「旧制」世代は憤りをそのまま表現する。だから、迫力が格段に違う。彼らは、国民の強い抑止力がなければ、国家権力はいくらでもエスカレートすることを体験として知っているからだ。だからこそ、怖いけれども、心強い兄貴だった。

週刊朝日 2013年2月1日号


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田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

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