『週末アジアでちょっと幸せ』などの著書がある旅行作家、下川裕治氏が格安バンコク旅行へ出かけた。タイ屋台料理を氏の体験談をもとに、こうレポートする。

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 空港から電車を乗り継ぎ、BTSと呼ばれるバンコク市内を走る高架電車のサパンクワイ駅に着いた。ホームから滝のようなスコールを見あげていた。「屋台はやっているだろうか……」。

 せっかく飛行機が定刻にバンコクに着いたというのに、うまい話は続かないのか。商店街の軒下を伝えば、ホテルに辿り着けるかもしれない。しかしなぜか足が動かない。タイ人と同じように雨宿りを決め込んでいた。

 結局、1時間も雨宿りをしてしまった。スコールに洗われた道を進むと、大通りを挟んだ歩道に屋台が連なっていた。白熱灯が湯気を映し出す。夕食は、スコールなどものともしないこの界隈にしようか。

 いちばん隅にある店は、肉や魚、野菜などの素材を屋台に並べた店だった。客は素材を指さし、調理法を伝える。タイ料理の真骨頂だが、外国人には難関だ。しかしいちばん隅で店を出すということは、腕にかなりの自信があるらしい。

 丸い素焼きの器の鍋科理屋台が出現した。歩道にテーブルも3台ほど用意されている。チムチュムと呼ばれる東北タイの鍋である。酸味と辛みの利いたスープの記憶に喉が鳴った。タイ料理の鍋といったら、タイスキが知られている。しかしタイスキは、冷房の利いた大型店で家族と一緒に食べる感覚が定着してしまった。健全な鍋なのだ。しかし男ひとり、屋台で食べる鍋といったら、このチムチュム。まずは一軒キープ……、とひとりごちて先に進む。バンコク版『孤独のグルメ』気分である。

週刊朝日 2013年1月18日号