旅立ちに際し、「穏やかな死」を願うのは、人として自然な気持ちだろう。だが必ずしも願いが叶(かな)うわけではない。町医者として500人の患者を在宅で看取った長尾和宏医師とともに「平穏死」に立ちはだかる壁について考える。

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 人工呼吸、人工栄養、人工透析が3大延命措置と呼ばれています。

 延命措置を願う人の気持ちは、自然なことだと思います。本人が長生きをしたいと願い、家族が生きてほしいと祈るのは、人類が誕生して以来、変わらない本能でしょう。

 しかし、すでに本人が意思表示できない場合はどうか。残念ながら日本ではリビング・ウイル、いわゆる自分の終末期への希望は法的に認められていません。

 本人が事前に「不治の病かつ末期になったときに延命措置はしないでほしい」と文書に書いて判を押していた場合でも、延命措置を差し控えたり中止できないのが現実です。本人の希望や尊厳を尊重するにはどうしたらいいのかが、いま問われているのです。

 最近、厚生労働省や日本医師会、日本老年医学会、日本透析医学会が相次いで終末期医療のガイドラインを出しました。日本でも、患者さんの利益にならない延命措置は控えようという空気に変わりつつあります。しかし例えば病院で、本人がリビング・ウイルを表明していれば、ガイドライン通りに延命措置を中止できるのでしょうか。現実には、大変難しいと思います。

 なぜか。ご家族は訴えなくとも、経緯を知る誰かに告発されるかもしれないという危惧が常にあるからです。実際、担当医をよく思わない誰かから告発を受け、事件になった例もあります。

 最近もある病院では、こんなケースがありました。不治かつ末期の患者さんのご家族が1カ月に及ぶ延命措置の中止を希望したところ病院の倫理委員会にかけられました。しかしそれでも願いは叶いません。

 ご家族は、「中止しなければ、病院を訴える」とまで言いましたが、病院の答えは、こうでした。「これは延命措置ではない。救命処置だから中止できません」。

 チーム医療で多数の目がある病院では、判断に客観性を持たせる必要がある。が、客観性を考えた時点で、中止は不可能なのです。

週刊朝日 2012年12月14日号