東京の下町の代名詞と言える墨田区押上を地盤とし、「下町の太陽」「下町のアイドル」と呼ばれた元衆議院議員の山口シヅエ氏。日本初の女性国会議員の一人で、連続11回、計13回の当選を果たしたベテランだった。1983年に政界を引退し、ここ10年ほど、メディアで消息が伝えられることはほとんどなくなったものの、誰もがその健在を疑っていなかった――。

 ところが、である。そんな山口氏について、週刊朝日は重大な証言を得た。山口氏に近く、内情を知る関係者のA氏がこう明かす。

「山口先生は今年4月3日午後9時40分ごろ、入院先の聖路加国際病院で亡くなりました。腎臓が悪く昨秋から入院したのですが、今年に入り風邪がきっかけで食べ物がのみ込めなくなり、胃ろうの手術を受けた2月末から急速に体力が衰えてしまった。最期は、眠るように静かに亡くなったと聞きます。94歳でした」

 なんと、すでに亡くなっているというのだ。しかも、6カ月以上も前の話だ。しかし、どこを探しても、山口氏の訃報は見当たらない。女性の社会的地位の向上に貢献してきた名士の死が、なぜいまだに公になっていないのか。キーマンとして浮上するのが、山口氏の元秘書のO氏(62)である。

 O氏は山口氏の政界引退後も右腕として仕え続け、晩年は彼女の事業や資産管理のほとんどを任されるほどの厚い信頼を得ていたという。2003年には山口氏が所有する貸しビル会社「山口シヅエガーデン」の取締役に就任。08年には、山口氏とともに代表取締役として名を連ねるまでになっている。

 A氏が言う。「実は、先生が亡くなる当日の午後、普段から身の回りの世話をしていた女性ホームヘルパー全員が病室に集められた。その場でO氏はヘルパーたちに、『先生に万が一のことがあっても、亡くなったことはすぐには公表しないでほしい。悪いようにはしないから、黙っておいて。責任は私が持つから』と頼んだというのです」。

週刊朝日 2012年11月2日号