(※イメージ)
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 19歳で単身渡米、時給1ドル25セントの極貧生活から億万長者になった男、それが「ヨシダソース」の創業者、吉田潤喜氏だ。「アメリカでイチローの次に有名な日本人」と言われる。アメリカで開いていた空手道場で、生徒へのお礼に自家製のソースを贈った。このお袋の味が受けて、アメリカンドリームを実現した。しかし売り出した当初は試食すらしてもらえなかったそうで、吉田さんは当時のことをこう振り返る。

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 道場の地下室に中古で買った大がまを持ち込み、ソース作りに打ち込んだ。ぐつぐつ煮込んで、1本1本瓶詰めしてな。

 早速、スーパーにお願いして店頭で試食販売をさせてもらうことにした。日本ではよくある試食販売も、当時のアメリカでは珍しく、だれもサンプルに手を出そうとしない。みんな通り過ぎていくんや。どうしたらええやろ、と考えて、店頭に立ったときにパフォーマンスを始めた。着物を着て、カウボーイの帽子かぶって、ゲタはいて、大声を出したんや。京都の商店街のように、「よってらっしゃい、みてらっしゃい!」や。

 足を止めてくれた客に、「ワシには子供が12人おって、おなか空かせて待ってるんです!」「売れんと、ブスで怖い奥さんが、家に入れてくれまへんねん」とか、でまかせを大声で言ってな。そしたらみんなニコニコ笑いだしよったん。笑ってくれた人はサンプルを食べてくれた。食べてくれた人は7割が買ってくれた。

 エルビス・プレスリーの格好したり、バレリーナの格好したり、やるたびにコスプレを変えていったよ。現地の新聞などで「クレージー・ヨシ」と取り上げられ、知られるようになってからは、他のスーパーもソースを置いてくれるようになり、そのとき思った。商いは目立ってなんぼやと。知ってもらうためには、恥ずかしいとか、みっともないとか言うてたらあかん。

週刊朝日 2012年10月12日号