バレリーナを目指し英国に留学したが、挫折して女優になった桃井かおりさんは、ロサンゼルス(LA)を拠点に、世界中を飛び回っている。デビュー41年目の今年、海外進出のきっかけとなったハリウッド映画の大作「SAYURI」(2005年)に出演した当時を振り返り、「無名であること」の大切さを実感したと語る。

*  *  *

 私、「SAYURI」撮影中の4カ月間、日本に帰れないどころか、呼ばれたら4時間以内にスタジオに入る契約書にサインしたみたい。休日なしで一日中スタジオにいるみたいな生活だった。他の人に後で聞いたら、運転手を付けてくれとか、冷蔵庫の中にコーラを入れてくれ、それもダイエットコークでとか、オーダーを出して、50枚ぐらいの契約書だったそうですけど、私は2枚(笑)。

 あまりつらいから、もっとつらくなれ!と思って、1カ月後にはホテルを出てアパート借りて、バスでスタジオに通いました。それでアメリカとか他国で暮らす苦労も学んだし、逆に早くなじんじゃった。そのうちに私の評判がよくなって、最後には契約書を作り直させて、トレーラー(楽屋)も手に入れました。

 あのときの財産はアメリカのシステムを覚えたのと、どこでも暮らせるようになったこと。そして、無名であることが俳優にとってこんなに大事なことだったのかと実感した。知らない人が私を徐々に認めていく。一人の役者として、何の先入観もなく、新鮮に見てくれている。日本ではよくものまねされるぐらい自分のクセが強くなりすぎてた。"桃井かおり"がにおってた。

週刊朝日 2012年10月5日号