日本の文化と流行の発信地である東京・銀座。そこに、昔も今も変わらず芸術家に愛され続けるビルがある。築80年の「奥野ビル」の物語とは……。

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 長い歳月を重ねた建物にいると、そこで生活していた人々の記憶を感じることがある。東京・銀座1丁目にたたずむ「奥野ビル」は、そんな不思議な力を持つ建物だ。

「初めてビルに入ったとき、オルゴールのように見えたんですよ」

 6階で「画廊香月」を営む香月人美さん(54)は、奥野ビルと出会ったときの感動をこう表現する。階段の木製の手すり、引っかき傷を付けたようなスクラッチタイルの壁。たしかに、このビルは古き良き銀座を箱の中に閉じ込めたかのようだ。一方で、各階には雑貨店やクリエーターの仕事場などが並ぶ。ギャラリーも約20点あり、活気あるアートビルの顔も持つ。

 奥野ビルの竣工は1932年。当時から全室に電話回線があった高級アパートで、詩人の故・西條八十(やそ)も住んでいた。戦後に貸事務所中心のビルになると、建築事務所の入居が増えた。昭和の名建築として高い評価を得ていたためだ。

 今でも昭和初期の面影を残したまま保存されている部屋がある。美容師の須田芳子さんが、竣工まもなくから亡くなる2008年まで入居していた306号室だ。現在は約10人の有志で家賃をまかなっている。有志の一人で、1級建築士として古い建物の活用方法を探る「Re1920記憶」主宰の石丸彰子さん(34)は、こう語る。

「日本で建築保存というと建築の専門的な話で語られることが多いのですが、306号室は、須田さんの生きざまを追う人や部屋を生かした作品を発表するアーティストが支えています。この動きは古い建築を残すヒントになります」

 建物があれば、記憶も伝わる。奥野ビルの物語も、まだまだ続く。

※週刊朝日 2012年10月5日号