「世界のニナガワ」として海外でも評価される演出家、蜷川幸雄さん。30歳を過ぎたころ俳優から演出家へ転身を図ったが、当時の日本の演劇界には受け入れられなかった。一方で、自分は世界レベルで仕事をしていると、妄想に近い自信はあったという。

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 僕には最初から「自分は世界レベルで物事を見ている、仕事してる」という自負というか、妄想があったんですよ。例えば若いころにゴダールの映画「勝手にしやがれ」でベルモンドが主役やってるのを見て、「なんでこれ、おれじゃないんだろう?」って思っちゃうタイプなの。誇大妄想に違いないんだけど。だからずっと「なんで日本の芝居はこんなにつまんないんだ? なぜそれをみんないいと言うんだろう?」って、わからなかったんだ。

 でもさすがに評価されないから、「おれの芝居はダメなのか? そんなことないよな」と思っていた。そしたら東宝の中根公夫プロデューサーが「一度外国に行こうよ」と。で、1983年に「王女メディア」を持ってイタリアとギリシャに行ったんです。

 初めての外国だから怖かったんだけど、王女メディアの口から赤いリボンが出るシーンで「ワーッ」と拍手が起きたんだ。女のつらい思いを視覚化したシーンでね。で、終わったら、客が総立ちで舞台に押し寄せてきた。大成功だったんです。

 おれは間違っていなかった、ほら!って。さんざん冷遇されてきたけど、そういう試練をくぐり抜けて認められて、僕は上がってきたんです。海外のほうが僕にとってフェアではあったなとは思う。でも外国だろうと日本だろうと観客を驚かせて喜ばせるのは同じ。だから自分は何も変わらないんですよ。

週刊朝日 2012年9月21日号