原発再稼働をめぐる動きの中で、置き去りにされているものはないだろうか。取り残されているものはないのか。福島第一原発の事故は、そこに暮らしていた一人ひとりの心と体、そして未来にどんな被害をもたらしたのか。仮設住宅から発せられた84歳の「原発難民」詩人のメッセージは、私たちに改めて問いかける。

 警戒区域内の福島県富岡町に自宅があった佐藤紫華子(しげこ)さん(84)は、同県いわき市の仮設住宅で昨年9月から夫と2人で避難生活を送っている。

 事故の直後から、佐藤さんは避難を繰り返した。富岡町の施設から始まり、その後は川内村、三春町、郡山市、そして長男夫婦のいる新潟県の柏崎市を転々とし、現在のいわき市へ。その間作り続けてきたのが、詩だった。

「逃げている間は何がなんだかわかりませんでしたけれど、どうにか落ち着きを取り戻したら、何かせずにはいられなくなって」

 枕元にノートとペンを置き、思いつくままメモした。急なひらめきを新聞の折り込みチラシの裏に書きとめたこともある。

 たとえばそれは、原発への憤り。

<仕事が ありますよ お金を 澤山あげますよ 甘い言葉にのせられて 自分の墓穴を掘るために 夢中になって働いてきて 原発景気をつくった あの頃……>

 あるいは、先の見えない不安。

<はっきり云ってください もうだめ と もう住めぬ と云って 住宅資金を出して下さい そうすれば 半分は あきらめもしましょう>

 そして、故郷への思い。

<呼んでも 叫んでも 届かない 泣いても もがいても 戻れない ふるさとは 遠く 遠のいて>

 昨年、佐藤さんは書きためた作品を2冊の詩集に収めて自費出版した。

 すると、「このつらい気持ちは避難者みんなのものだ」「私たちが思っていることを書いてくれてありがとう」といった、同じ境遇にある避難者からの共感や励ましの声、さらには、「テレビの映像よりも被災地のすごさを伝えてくれる」といった感想が佐藤さんに寄せられた。用意した冊数はなくなり、本のコピーが出回った。

 原爆の詩を朗読することをライフワークとしている吉永さんは、佐藤さんの詩に心動かされ、今年4月に福島市で開かれた朗読会で佐藤さんの詩を取り上げた。吉永さんは、

「これからも詩を書き続けてくださいね」

 と佐藤さんを励ましたという。

* 『原発難民の詩』 佐藤紫華子著

※週刊朝日 2012年8月3日号