小説『空海の風景』で、司馬遼太郎は空海という人間を描いた。その完成の裏には、空海と司馬さんの不思議なエピソードがあったという。

 高野山大学での講演で、司馬さんはこんな話もしている。

<空海について書いてみようと思ったのは昭和四十年ごろです>

 そのころの司馬さんは『坂の上の雲』の執筆の準備にとりかかっていた。日露の戦況を書く上で、一見瑣末(さまつ)に思える事実の確認に忙殺された。誰がいつどこで何をしていたか、綿密に詰めていく作業は重要だが、苦痛でもあった。そんなときに司馬さんはときどき、『弘法大師全集』を読んだ。そこには、時間関係から解放された、真実ばかりの世界があったという。

<『坂の上の雲』の執筆中はずっと、お大師さんのおかげで精神のバランスが保たれていましたね>

『坂の上の雲』を執筆中だった1970(昭和45)年7月、いつものようにみどり夫人と散歩に出かけた司馬さんは、交通事故にあった。みどりさんの『司馬さんは夢の中1』(中公文庫)には、

<むこうから走ってきた車に撥ねられて、道路脇の大きな石に思いっきり頭をぶつけた>

 眉間を切るけがで、失血はあったが幸いに軽傷で済んだという。

 むしろ後遺症はみどりさんのほうにあったようだ。見舞客や電話の応対で声が出なくなり、事故の瞬間の衝撃が心に残って震えることもあった。司馬さんはみどりさんに、

「ひょっとして、頭、打ったのは、俺ではなくて、お前だったんじゃあないのか」

 とからかったそうだ。みどりさんはこの話をこうまとめている。

<事故に遭ったとき、司馬さんは、ずっと「空海」のことを考えながら歩いていたのですって。それにしては、私とあんなに喋り、あんなに笑っていたのに、いったい司馬さんの頭の仕組みは、どうなっているのでしょうね>

 ときに交通事故もあり、こうして司馬さんの空海は誕生していく。

※週刊朝日 2012年8月3日号