7月6日、首相官邸前。午後6時ちょうどの「シュプレヒコール!」のかけ声とともに、大飯原発、そしてすべての原発の再稼働に反対するデモが幕を開けた。

〈サイカドウハンタイ、サイカドウハンタイ!〉

 老いも若きも、延々と同じフレーズを繰り返し叫んでいる。ひたすら「再稼動反対」の連呼あるのみ。まるで念仏だ。しかし、一見退屈なこのアピールにこそ、この集会が半世紀ぶりともいえる大規模デモに膨れ上がった秘密がある。

「私たちは脱原発、再稼働反対という訴えとは異なる主張を掲げたのぼりやスピーチを、徹底して排除するようにしています」(デモを主催する「首都圏反原発連合」の中心メンバーの女性ミサオさん)という今回のデモ。小さな花が集まったイメージから「アジサイ革命」とも呼ばれる今回の動きは、過去のデモと何が違うのか。

 日本の学生運動史や共産主義に詳しい作家の中川文人氏は次のように指摘する。

「60年安保のときは、このままでは条約が可決してしまうということで、政治日程とデモがリンクしていました。しかし今回は、ふだん大声で叫んだりしない人が、安心して再稼働反対を叫べるからと集まった面が大きいのでは。野田首相が辞めて再稼働が止まるとも思えないし、自民党が政権に復帰したら、かえって原発推進になる。政治的にはなかなか落としどころがない」

 主催者側も、<さくっと集まってさくっとおわり、何度も執拗に繰り返すというのが金曜日のスタイル>とはいうものの、明確な展望があるわけではないようだ。

『原発危機と「東大話法」』の著書がある東大の安冨歩教授は、せっかくデモに集まった人々が互いに言葉を交わすこともなく、バラバラに叫んでいる印象を受けたという。安冨教授は今後をこう占う。

「集まった方々が互いに挨拶したりして、つながりができるようになれば、運動は質的に発展するでしょう。人々の『心の殻』こそが、原発のようなものを生み出しているのですから、その殻を打ち破ることが運動の成否を決します。それがなければ、単なるガス抜きで終わりかねません。これが『金曜夜の祝祭』へと発展すれば、屁の河童と思っている政権もやがてその渦にのみ込まれます」

※週刊朝日 2012年7月20日号