死者29人、被害者6500人以上。これは、オウム真理教が起こした一連の事件の被害者数である。殺人集団と化した教団は、じつは武器製造にも着手していた。地下鉄サリン事件が起きた同じ年の1995年、教団は拳銃の密造に成功。これが後に「自動小銃密造事件」と呼ばれる事件である。

 オウムは1992年9月、石川県能美市の油圧シリンダー会社「オカムラ鉄工」を乗っ取った。ここが、銃の密造の起点となった。

 麻原彰晃はハルマゲドン(最終戦争)に関する予言として、こう言い始めた。

「95年の終わりから、日本は大きく変わる。第3次世界大戦で、教団は救済をしなければならない」

 麻原は「戦いに生き残るための情報収集」を「建設省」の早川紀代秀と、「科学技術省」ナンバー2の男に命じた。二人は93年2月から20回以上、ロシアに渡航し、バズーカ砲や機関銃の兵器を見て回った。市街戦に有利だと考えて自動小銃を選び、「AK74タイプ」1丁を購入した。

 すると、麻原は「銃1千丁と弾丸100万発を95年秋までに作れ」と科技省の村井秀夫に命じた。

 95年1月1日に最初の1丁が完成。麻原は、「今日はすごい日だな。(読売)新聞には『(上九で)サリン残留物を検出』という記事が出るし、お前たちは小銃を持ってくるし」と喜んだ。そして、「後は弾だな」と催促し、上九一色村の施設の床下に鉄管を埋めて作った「迷路」に隠すように命じた。

 警察の強制捜査に備え、量産中の部品を都内や神奈川県、埼玉県のアジトに隠す訓練も繰り返された。この自動小銃密造事件で、麻原をはじめ29人が逮捕された。

 もし麻原逮捕が95年秋まで延びていれば、1千丁規模の量産が実現していた可能性があったとされる。危機は目の前にあった。

※週刊朝日緊急増刊 オウム全記録


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