エリート集団が支えていたことでも知られるオウム真理教。法務省、防衛庁など、教団は23省庁で組織されていたが、各省庁のトップには、霞が関官僚も顔負けの「高学歴」が並ぶ。それぞれの関係者が彼らの"優秀さ"を明かした。

 まずは、えりすぐりのインテリが集まった科学技術省の長官だったのが、故・村井秀夫だ。村井は阪大大学院理学研究科で惑星からのX線について研究していた。当時の恩師はこう言う。

「まじめで優秀。試験もトップクラスの成績だった」

 サリン製造の主力である土谷正実死刑囚は、厚生省ナンバー2。筑波大大学院で有機物理化学を専攻した。

「非常に研究熱心だった。化学の専門家として能力を伸ばし、私の研究を引き継いでくれるのかと思っていた」(当時の指導教官)

 教団付属医院の院長兼治療省大臣だった林郁夫受刑者は、慶大医学部卒の心臓外科医だった。林は開業医の家に生まれ、中学から慶応。卒業後は米デトロイトの心臓血管外科研究所に留学した。84年には、茨城県の国立療養所晴嵐荘病院で循環器科を開設するにあたり、初代医長として招かれている。

「手術の腕もよく、患者が列をなすほどだった」(当時の病院関係者)

 法務大臣兼顧問弁護士だったアパーヤージャハ(ホーリーネーム)は、「京大のプリンス」といわれていた。法学部の4回生で司法試験に合格した。

「極めて優秀な男で、名前が前後の学年まで知れ渡っていた」(京大の同級生)

 このほかにも、オウム幹部には各分野で将来を嘱望された若者たちが居並ぶ。だが、彼らはオウムと出会い、凶悪事件を起こした。あふれる才能を生かし、日本の「救世主」となることはなかった。

※週刊朝日 2012年6月29日号