音楽評論家・湯川れい子の「肩書」はプレイガールだった

2012/05/20 07:00

 1959年にジャズ専門誌へ投稿したことをきっかけに、音楽評論家となった湯川れい子さん。大きな仕事が入るようになって売れてくると、「あまりありがたくない」肩書がつけられたりしたが、あえて受け入れていたという。当時の様子を音楽ライターの和田靜香氏がこう記す。

あわせて読みたい

  • 音楽評論家・湯川れい子も取材困難だったビートルズの熱狂

    音楽評論家・湯川れい子も取材困難だったビートルズの熱狂

    週刊朝日

    4/28

    音楽評論家の湯川れい子さん 原始人夫婦役で漫談した過去

    音楽評論家の湯川れい子さん 原始人夫婦役で漫談した過去

    週刊朝日

    5/10

  • 音楽評論家・湯川れい子さん 「シンディ・ローパーは下町のおかみさん」と語る

    音楽評論家・湯川れい子さん 「シンディ・ローパーは下町のおかみさん」と語る

    週刊朝日

    6/5

    熊本・大分へ音楽でエールを送る特別番組OA、ピーター・バラカン、湯川れい子、角松敏生、秦 基博らが選曲

    熊本・大分へ音楽でエールを送る特別番組OA、ピーター・バラカン、湯川れい子、角松敏生、秦 基博らが選曲

    Billboard JAPAN

    5/13

  • 【私の好きな場所】樹齢2000年のご神木が見守り続ける熱海の来宮神社の清浄な気に包まれる

    【私の好きな場所】樹齢2000年のご神木が見守り続ける熱海の来宮神社の清浄な気に包まれる

    1/1

別の視点で考える

特集をすべて見る

この人と一緒に考える

コラムをすべて見る

カテゴリから探す