今や五輪名物となっている、「オリンピックおじさん」こと山田直稔さん。ワイヤロープ販売会社の会長で、現在86歳。派手な帽子や日の丸の扇子での熱心な応援姿が知られているが、ここまでのめり込むようになったのは、大きな「勘違い」がきっかけだったという。1968年のメキシコオリンピックを振り返り、こう話す。
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どうせ行くなら日本をアピールして、世界各国の人々と交流しようと思ったんです。だから、日の丸の旗と羽織袴を持参したの。でもそれだけ。そうしたら飛行機の中で日の丸の扇子をもらった。現地に入ってから、お土産のつもりでソンブレロという帽子を買ったの。つばの広いやつね。それがかさばるので頭に被(かぶ)るしかなくなった。そしたら目立つのなんのって。
その格好でメーンスタジアムへ陸上競技の応援に行くと、男子5000メートルの予選が始まりました。当時は私のような一般人でもフリーパスでグラウンドまで下りていけたの。それで出場していた沢木啓祐(けいすけ)さん(現日本陸連副会長)を、
「頑張れ、頑張れ」
って応援したの。5000メートルだから、1周400メートルのトラックを12周半か。沢木さんが走ってくるたびに近付いて叫んでたつもりがメキシコの選手を応援してたんだ!
引っ込みがつかなくなっちゃって、気づいてからもメキシコの選手に向かって、
「メヒコ、メヒコ、ランランラン」
って絶叫してたの。
するとね、13万人の観衆がエール交換のように
「ハポン、ハポン」
って沢木さんを応援し始めたんですよ。
大観衆が一体になって盛り上がる中、メキシコの選手が猛烈なラストスパート。もう13万人が総立ちだよぉ。
あんなに感動したことはないね。大げさかもしれないけど、地球上に生きてる喜びをかみしめたの! 応援とは、すごい力を持つことなんだと分かったんだ。自分がたった一人で、あの感動の瞬間を演出したんだから。あれでもう、完全にハマっちゃったね。
※週刊朝日 2012年5月18日号